学びが心の窓を開く
教員免許更新講習 in屋久島

H30.7.29~7.31
鹿児島県熊毛郡屋久島町


10年に一度の教員免許更新講習
どうせ、やらなきゃいけないのなら
楽しもう!!

大学時代の友人に教えてもらって
岡山理科大学の教員免許更新講習-屋久島の自然観察実習ー(選択領域24時間)
に申し込みました。
そして、なんとラッキーなことに、
二人とも抽選に当たりました!

屋久島行くなら、縄文杉にも行こう!
友人と二人で情報をリサーチ。
屋久島まで、屋久島内での交通手段は?
宿は?
持ち物は?

当選の通知を受けた5月11日から準備を進めて、
いざ屋久島へ。

カシミール3Dで作成

屋久島

九州本土から南へ約60km
周囲約130km
面積500平方キロメートル
人口 13600人
1993年 日本初の世界自然遺産に登録

九州最高峰の宮之浦岳(1940m)をはじめ、1000m以上の山が45もあり冬には雪を頂く山々は、“洋上アルプス”と呼ばれている。

7/28(土) 前泊

7:40新山口で友人と会い、博多までは福岡ライナー

11:07に着くはずでしたが、博多バスターミナル前で大渋滞
11:20ようやくバスターミナルに着きましたが、
乗るはずだったバスもまだ来ていませんでした。
この日は土曜日
ヤフオクドームで野球の試合がある日だったのです。

バスはあきらめて地下鉄で福岡空港へ。
10分足らずで着きました。

13:10 福岡空港発
14:20 屋久島空港着

7/31のレンタカーの確認をして、
バスで尾之間へ。
おのあいだと読むのだと友人に教えてもらいました。
宿は 四季の宿尾之間
モッチョム岳(940m)を眼前に拝める素敵なお宿でした。
この宿に講習の2泊も含め5連泊です。
 お料理は地元の野菜・魚中心で
ヘルシーで美味しかったです。
ついついビールが進んでしまいました。

お部屋にはそれぞれ(半露天)風呂もついていますが
この日は宿のご主人に尾之間温泉に連れて行ってもらいました。
この日は、お祭りで15分しかなかったのですが、
それでも十分と思えるほど熱いお湯。
泉質は素晴らしく
ぬるぬるとした湯で、温泉成分の濃さを感じました。

いよいよ明日から講習
緊張半分。楽しみ半分。
未知の世界への入り口はいつもドキドキです。。

7/29(日) 講習一日目

翌朝は、5時に起きてお散歩
昨日のバスでも思いましたが、
海岸線を走っているはずなのに
なかなか海が見えません。
この日も、海の方向へ歩きましたが、
海が見えない。
おかしいなぁ。

そのわけは、この後、講習を聞いてわかりました。
山を見ながら朝ご飯を食べられるなんて至福。
そして、またごはんが美味しい。
カメの手の味噌汁の味が忘れられません。
同じく前泊しておられた先生方のご厚意で
宮之浦の屋久島環境文化村センターまでご一緒させていただきました。

午前十時 開講式。
今回の講習生は22名。
北は宮城県から南は鹿児島県まで、日本全国から集まってきた人たち。
校種も小学校、中学校、高等学校と様々です。
山口県からは私と友人の二人だけでした。
改めて、この幸運に感謝です。

自己紹介を聞きながら、
やっぱりここに来られるだけあって
みなさん、探求心、熱意とそして前向きな姿勢をもっていらっしゃるなぁ。
と思いました。
私も、久しぶりに脳みそフル回転してがんばろう!!
 
今回、私たちのインストラクターを務めてくださるのは、
YNAC屋久島野外活動総合センターの
小原先生と市川先生。

小原先生の屋久島の地質、気象、植生についての講義を受け、
お昼ご飯を食べたら、
4班に分かれて野外実習へ出発しました。
 地球のプレート運動を示す証拠
田代海岸の枕状溶岩
 
海底で噴出したマグマが、海水に触れた表面だけがすぐに固まり、
歯磨きチューブを押し出したような姿で流れ出たもの。
枕を積み重ねたような形に見えるので枕状溶岩と呼ばれる。

赤茶色の岩(地層)は、火山灰が固まってできた赤色泥岩。
生痕化石。
太古の海底にいた生物たちの巣穴や動き回った跡。
途中の滝。
飛び込んだら気持ちよさそう。
屋久島は、沢登り、リバーカヤックでも
楽しめるのだそうです。
 屋久島の誕生を知る鍵
花崗岩の一枚岩-千尋の滝
 
約1500万年前、マグマが活発化し地下数㎞のところでマグマだまりができました。
その後、数百年をかけて冷えて、巨大な花崗岩になりました。
花崗岩は堆積岩より軽いため、年間1mmの速さで上昇し、島となりました。

屋久島は、そのほとんどを花崗岩に覆われ、今も上昇し続ける島なのです。

海岸が遠かったのも、堆積岩が残っている東部海岸以外は、
切り立った崖になっているからなのでした。
 ぐにゃぐにゃの地層ー付加体
湯泊海岸の褶曲
砂と泥が交互に積み重なって堆積するのが普通の地層。
でもそれが、逆転してさらに湾曲しています。

大陸プレートの下に海洋プレートがもぐりこんで
押しつけられた地層の集まり-付加体
この付加体が、盛り上がって海上に現れたもの。

一体どんなことが深海底で起こったんでしょう。

この近くには、平内海中温泉もありました。
混浴の露天風呂。
水着着用はできないそうです。
タオルだけでは、ちょっと難しいなぁ。
17時過ぎ、宿に帰ってご飯を食べて
20時から顕微鏡を使った講習。
昼間みんなが見つけたものをそれぞれ持ち合って、顕微鏡で観察。
昼間、田代海岸で、先生に教えてもらって採取した磁鉄鉱。 
 
何だったか忘れてしまいました…
でも、顕微鏡で見ると、世界が変わる。
顕微鏡ほしくなりました。 

7/30(月) 講習二日目

前代未聞の逆走台風ー台風12号
本州を西進した後は、
何を思ったか屋久島めがけてまっしぐら。
そして、屋久島の西側に着いたら
いきなり速度を落としてまったり。
どういうこと!!
ひと月に35日雨が降る!?
屋久島の気象 
昨日姿を見せてくれたモッチョム岳も雨に見え隠れしています。
そして、昨日はなかった白い筋が山肌に!
なんと、滝が生まれているのです。
 屋久島は、日本で一番雨が多いところ
年間降水量が約4000mm
(本州は1500mm、私の住む瀬戸内地方は1000mm)
でも、これは平地に降る雨量で
白谷雲水峡は8000mm、ヤクスギランドは10000mmともいわれています。

月ごとに降水量を見ると、
3月の全体降水量が700mmで3月のある一日の降水量は350mm
つまり、毎日降るのではなく、大量の雨が集中的に降るようです。

これは、黒潮の真っただ中に高い山があるから。
固い花崗岩に覆われた屋久島では、急激な増水による鉄砲水で運ばれた、
コアストーンと呼ばれる大岩が、河沿いにゴロゴロしています。

この豊富な水と深い谷によって、島の全電力を賄って余りある発電を可能にしているそうです。

さらに、屋久島の平地の年平均気温は20度。
実は、本州より涼しい。
私たちが滞在していた6日間。ほぼ25度前後で風はひんやり。
屋久島は、避暑地だった~
台風によって、二日目と三日目の予定を交換。
今日は、車で島を一周しながら
いくつかのポイントを回ることになりました。
まずは、屋久杉自然館

これは、屋久杉を運んでいたトロッコ列車です
  屋久杉について学ぼう
屋久杉自然館

樹齢1000年を超えた木だけを屋久杉というのだと初めて知りました。。
1000年に満たない木は小杉と呼ばれ、人工的に植えられたものは地杉と呼ぶそうです。
一般に杉の樹齢は300年と言われるのに、なぜ屋久杉は長寿なのか。

①屋久島に降る大量の雨
高い湿度によって生まれた蘚苔類が幹や枝を保護し、たとえ切り倒してもそこに生えた蘚苔類が次の杉を育む礎となる。

②屋久杉の持つ樹脂の強さ
普通の杉の6倍の樹脂が防腐効果をもち、さらにその香りが害虫を寄せ付けない。
次の日、ヤクスギランドで実際に見ましたが、屋久杉はたとえ倒れても腐らない!

③他の樹林との共生
針葉樹、広葉樹の混合林に生育していることで強風による障害や風倒を避けやすい。
屋久杉の締め殺しと言われるヤマグルマやヒメシャラと時にけん制しあい、時に助け合ってきたからこそ生長した。

他にも、7300年前に起きた鬼界カルデラ火山の大爆発によって、降り積もった火山灰が植物が育つ肥沃な土壌のもととなっている。
台風常襲地帯であるが上に、杉はある程度以上は高くならず、枝を幹化して日照を広く取り入れている。

など、諸説あるようです。

私は、この講習に来る前は屋久杉は恵まれた南国の環境で育ってきたと思っていました。

が、
実はその逆で

屋久島は花崗岩に覆われた島。
屋久杉は、そのコアストーン上に薄く積もった土壌に根を張って育ってきた。
更に、毎年訪れる台風。
厳しい環境に耐え、知恵を絞り、ほかの植物と共生してきたからこそ
他に類を見ない長寿の杉となりえたんだと知りました。
困難を乗り越えてこそ、強く大きくなったんだね。

屋久杉の年輪はその苦しい成長の軌跡を表しているかのように
1センチに十数本を超えるほど密になっていました。。

屋久島と人とのかかわりについても教えていただきました。

室町時代   屋久杉の伐採が始まる
江戸時代   薩摩藩主島津氏の命令で伐採され、年貢として納められていた。
明治時代   国有化
昭和30年代 チェーンソーの導入で伐採が進む
昭和40年代 屋久島を守る会発足
昭和57年   第四次施業計画
        1000年を越える屋久杉と優良小杉の伐採禁止。
平成13年  伐採事業の終了

今の屋久島の森の姿は、人とのかかわりの中でできたのですね
現在の屋久杉の工芸品は土埋木と呼ばれる
倒れたり、流れてきた屋久杉を使っているそうです。
でも、それも年々少なくなっているそうで、
いつかはなくなってしまうかもしれません。
 ウミガメの涙
永田浜
 
産卵をするウミガメがその目から糸を引くように流す涙。
それは、実は涙ではなく、餌と共に飲み込んだ海水の塩分を目から出しているそうですが、
絶滅危惧種に追い込まれた悪しき環境から助けを求める涙ともとられます。

屋久島に生息する主なウミガメは
アオウミガメとアカウミガメ

アオウミガメは、海藻類を食べ海岸近くでよくみられ、
アカウミガメは貝類や甲殻類を食べ、沖を泳いでいるそうです。
ここ、永田浜は、日本におけるアカウミガメの総上陸産卵回数が日本の40パーセントを占め、日本一となっています。
4月から7月の夜、メスのウミガメが産卵のため砂浜に上陸します。
そして、60cmほどの深さの穴を掘り、そこにピンポン玉ほどの卵を産みます。
一回の平均卵数は70~180個。同じウミガメが1シーズンに3回産卵するといわれています。
45~75日かけて孵化した子ガメは、一週間かけて60cmの穴からはい出し、
海岸へと向かい、黒潮に乗ってアメリカ西海岸へと旅立つのです。
子ガメから成体になるまで、約30年と言われています。

この子ガメが海へと旅立つのを妨げるのは、従来からの天敵のカニ、鳥だけではなく
私たち人間でもあるのです。

①人家や外灯・カメラのフラッシュー明るいところを目指して進む子ガメが、しばしば道を見失ってしまう。

②混獲ー定置網、底引き網、はえ縄などにより、呼吸のために水面に顔を出したカメがからまって、溺死してしまう。

③漂流物-ヤシの実、流木のほかにプラスチック類などの人工物を間違って食べたり、絡みついて死んでしまう。

④観光客の増加ーカメの卵は柔らかく、上部に空気があるためにわずかな隙間がうまれて、這い上がることができるが、
人に踏まれるとその空間がなくなり、窒息したり踏みつぶされてしまう。

本来カメが海に帰るのは夜ということでしたが、
私たちがここを訪れた昼間に、2匹の子ガメが浜にいました。
一匹は、まだ動いていましたが、
もう一匹は仮死状態でした。

柔らかなカメの卵を拾い集めながら、
ここにいることが、子ガメたちを瀕死の状態にしているのかもと考えてしまいました。。
サル二万、シカ二万、人二万
西部林道
 
人家のない西部林道は野生動物の安住の地。
道路沿いに何度もこの風景を見ました。
ヤクシマジカは、本土のシカに比べ大きさは半分ほど。
背が低いので、食糧をとるには不利で、
サルが木から落としたおこぼれにあずかることも多いそうです。
ヤクシマザルは、このシカに乗って遊ぶこともあるとか・・
植物だけでなく動物も共生しているのですね。

そして、このサルには餌付けをせず人なれをさせているそうで
だから、餌を求めて人を襲ってくることもないとのことでした。

YNACの市川先生の動物に対する温かい思いが伝わってくる話を聞きながら
人間に対する害のあるなしで動物を考えてしまう自分が恥ずかしくなりました。
この日は水質検査を至る所でしました。
酸性・アルカリ性を調べるPH
そして、純水の単位を表すマイクロジーメンス

この西部林道の川の水が
マイクロジーメンスが一番低かったです。
純水に近いということでしょうか。
昨日地質の勉強をしたので
なるほどと思う断崖絶壁の海岸線。
マグマの熱で変化した変成岩ーホルンフェルス
大川の滝(おおこのたき)
 
ホルンフェルスは、“つの石”という意味で、角のようにすると角ばって割れることからこの名がついたそうです。
屋久島の花崗岩のもとになったマグマは、700℃以上あったと考えられ、
周囲の堆積岩を焼き物のように固い変成岩に変えてしまいました。
大川の滝の岩盤は、このホルンフェルスからできているといわれています。

滝のすぐそばまで行って、その水しぶきを体感。
その勢いの強さは、ナイアガラの滝を思い出させました。

この“おおこ”という呼び名も初めて知りました。
九州最高峰の宮之浦岳(1936m)の登山口ー淀川も“よどごう”と呼ぶのだそうです。
帰り道に現れた虹。
そういえば今日は台風だったと思えるほど、
北部と西部は晴れていましたが、
南部はしっかり雨が降ったようです。

今朝、車の中で一生懸命雨雲レーダーを見る私たちに
市川先生が教えてくださったことを思い出しました。。

屋久島では天気予報はあてにならない。
屋久島の北と南、西と東では全く天気が違う。
雨雲レーダーに雨雲がなくても雨が降る。
逆もしかり。
だから、屋久島の人は天気予報をほとんど見ない

なるほど。
そういえば、私たちも、今日一日で携帯の天気予報を見なくなりました。
本日最後の研修場所ー中間ガジュマル
ガジュマルは別名“タコの足”と呼ばれ、
垂れ下がった根が地表に着き幹となりを繰り返して、巨大な樹になったもの。
中間ガジュマルは樹齢300年を超える島内最大の巨木。 
宿に着いたのは18時前。
長い一日でした。
そして、もう明日で終わるなんて信じられません。

明日はいよいよヤクスギランドへ。
屋久杉を見に行こう!!

7/31(火) 講習三日目

屋久島の西にから去っていくかに思われた台風は
なんと屋久島をぐるぐる回り始めました。
宿の方も「こんな台風見たことない。」と言われます。
なんだか、私たちの講習が終わるまで一緒に付き合おうとしているかのよう…
でも、昨日の市川先生の話を思い出し
ケ・セラ・セラの心境で、あるがままを受け入れよう !

モッチョム岳もその姿を見せてくれたし、食堂の屋上に上がると海も見えました。
今日も、天気とうまく折り合いながら
何かに出会えるといいな。
屋久杉に会いに行こう!
ヤクスギランド
屋久杉自然館の前を通り過ぎ、ひたすら車で山を上がっていきます。
なんだか、肌寒い。
そう、気が付けば標高は700mを越えていました。
気温は100m上がるほどに、0.6度下がる。
標高1000mのヤクスギランドは下界と6度も違うのです。
これが冬になると、ふもとは25度ですが、
1000m級の山の山頂は-25度になり、雪を覆われるとか。
まさに、洋上アルプスなのですね。

シダ、ガジュマル、クワズイモという亜熱帯性の広葉樹林から、
ヤクスギ、モミといった針広混交樹林へ。
屋久島の垂直分布も車窓から確認できました。

そして、ヤクスギランドへ。
いよいよ屋久杉に出会えます。
門のようなスギ
倒れたスギと下にあったスギが合体??
倒木、更新、合体を繰り返して
生長するヤクスギを象徴するかのようです。
島の面積の90%が森におおわれて、古来の原生林をとどめているのは、
湿潤な環境によって生まれたコケがあるから。
倒れたスギはコケに覆われ、そこに次の命が芽を出していました。
   
650種を超すといわれる屋久島のコケ。
次回は、それもじっくり見てみたい。 
スギは次世代の生長を妨げない。
伐採されても、その親株を土壌として次の小杉が育っていく。
ヤクスギの再生力はすごい!!
ヤクスギと共に森をなすヒメシャラとヤマグルマ
花崗岩の少ない土壌、台風の襲来
過酷な環境を生き抜くために
支えあい、時にその一部になることもあるんだね。
 
ヤマグルマが、じゃれつく子供のように
根元に巻き付いている千年杉
本当に屋久杉は寛大だなぁと改めて思う。
至る所から水がしみだしていて
森をひんやりと冷やしてくれているかのよう。
木々が台風から守ってくれていたけれど、
雨粒を感じるほどの雨になってきました。
でも、雨にしっとりと濡れそぼる森がまたいい!
荒川橋。コアストーンがゴロゴロ。
こんな石を山から運んでくるのだから、水は時に怖い。
 
幹の凸凹が仏陀の顔のように見えることから名づけられた仏陀杉

太い幹でごつごつとしたコブは屋久杉の特徴。
普通の杉は50年を過ぎると腐り始めるけれど、
屋久島では、芯が腐れ始めるのは1000年を越えてから。
1000年をこえると、
幹の生長が順調なところと、そうでない部分ができて、大小のコブができ、
木の高さは強風で伸び悩んで、
幹はゆっくりと横に振り、太っていくのだそうです。
最後は紀元杉へ。
紀元杉は、老屋久杉・六神木のひとつで、
ヤクスギランドより車で15分、標高約1,200メートルの安房林道沿いにあり、
屋久島で唯一、車窓から見ることができる屋久杉。
樹高19.5メートル、胸高周囲8.1メートル、推定樹齢3,000年といわれています。
 
残念ながら、上の方は崩れかけていて、
応急手当がしてありました。
崩れ落ちていかないことを願っています。
 
そして、宮之浦の屋久島環境文化村センターに戻り、閉講式。

迷走台風のせいで、船も飛行機も止まり、
この日屋久島を脱出できた人は一人だけでしたが、

逆境にめげない杉のような逞しさと行動力をもつ講習生の方々は、
新たな目的地を見つけて、動き出されていました
  
 この講習で知ったこと。
 ①屋久杉の誕生・生長には、屋久島の地質、気象、植生そのすべてが関連している。
 ②屋久杉は、過酷な環境の中で、忍耐と知性で生き抜いてきたこそ、長寿となった。
 ③伐採され続けてきた屋久島の森。その森が回復するためには、水を蓄えたコケ類が不可欠だった。コケは屋久島の生命線。
 ④屋久島の天気予報はあてにならない!雨の森こそが、屋久島の美しさを伝えている。
 ⑤動物と人との共生の鍵。それぞれが、それぞれの場所、距離、立ち位置を守ること。
 ⑥そして、何より知ること、知ろうとすることが自然の美しさを知り、守る第一歩になること。
  学びが心の窓を開いて、新しい世界が広がっていくこと。


YNACの先生が言われた言葉が心に残っています。

閉講式での小原先生の言葉
“みなさん、知ったつもり、分かったつもりにならないでくださいね。
 私たちも、いつも本当にそうだろうかと思いながらお話ししています。
 調べて、事実と違っていたり新しいことが分かることも多いのです。”

講習中の市川先生のつぶやき
“僕は神にはなりたくない。
だって、何もかも分かってしまったら
つまらないものね。”

不思議を探し求める姿勢
私の中に、新たな分子を吹き込んでいただきました。

この講習を準備してくださった岡山理科大学の先生方。
実習中だけでなく、車の中でも、本当にあふれる知識・見識を伝え続けてくださったYNACの講師の方々。
エネルギッシュな姿勢で講習をより楽しく、深みのあるものにしてくださった講習生の皆さん。
私にこの講習を教えて、一緒に過ごしてくれた友。

そして、私の中に新たな息吹を感じさせてくれた屋久島の自然

本当にありがとうございました。


なお、私の脳では、講習の間だけではすべての内容を理解、記憶できなかったので、講習から帰り、以下の文献を参考にさせていただきました。
説明、解釈にいろいろ間違いがあるところもあるかと思います。ご容赦ください。

『屋久杉の里』                           南日本新聞屋久島取材班   岩波書店発行
『屋久島発ウミガメの涙ーその生態と環境』         大牟田一美・熊澤英俊      海洋工学研究所出版部
『コケを見に行こう!-森の中にひっそりと息づく緑のじゅうたん』   佐古文男              技術評論社
『まっぷる屋久島・奄美・種子島’19』                                 昭文社
「国立公園地質リーフレット 探検シリーズ2 屋久島地質たんけんマップ」           日本地質学会

オプション 縄文杉ツアー・フルーツガーデンに続く


アウトドアレポート