大学の頃サイクリングで来て登った槍ヶ岳・奥穂高
その後妹の幸ちゃんと登った北穂高・奥穂高(今思えば無謀でした。。。ごめんね)
そして、平成14年家族で登った奥穂高
平成24年常念岳・蝶ヶ岳縦走
平成25年三穂高縦走(前穂高・奥穂高・北穂高岳)
ずっと二人の夢だった槍ー穂高縦走。
でも、技術的にも日程的にも
まだずっと先の話だと思っていました。
でも、今回一週間休みを取ることができ、
体力に不安を抱えながら、
長年の夢にチャレンジ!!
今回は1週間すべてテント泊の予定。 大キレット・小キレット縦走に備え ザイル・ハーネス・カラビナも装備 一週間分の食料を詰め込んだら ふたりのザックはパンパンになりました。 |
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1日目 8/10 |
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朝一番の列車に乗っても 松本駅に着くのは昼です。 お昼を食べながら、新島々行きの電車を待ちます。 いつもここから始まります。 |
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上高地について歩き始めたのは午後2時45分。 はやる気持ちを抑えて、ゆっくり歩きます。 ここもいつかは行ってみたい徳本峠の入り口。 |
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上高地ー明神ー徳沢ー横尾 森林浴の素敵な道です。 |
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大好きな徳沢園。 それぞれの夏を楽しんで テントもいっぱいです。 徳沢を過ぎると ザックを担ぐ重装備の人が多くなります。 11kmはなかなか長い。 暗くなるまでに着けるかな。 |
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6時前、なんとか横尾までたどり着きました。 おうちをたててホッと一息。 今回はダブルエンソライトマット、 8月といえど、残雪の残る穂高は初春並みの気温。 これは、大正解でした。 |
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2日目 8/11 |
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夜は少し雨が降りましたが、 ペグを打った2テンの中は快適でした。 朝には雨も上がり、雲はありますが、天気はまずまずのようです。 目指すは、槍(殺生ヒュッテのつもりが、槍ヶ岳山荘になりましたが、) 長い行程になります。 朝4時に起き、5時5分出発です。 |
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標高差のない川沿いの道 梓川の源流となる 美しい川のマイナスイオンに包まれて歩きます。 |
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“水の色がいい。 上高地から明神、徳沢と過ぎて横尾に向かう道を歩くたびに そばを流れる梓川の水の美しさにうっとりする。 それは川底に敷きつめられた白い花崗岩のせいにもよるが、 槍や穂高という名流の山のふところから生まれた川でなければ、 あの鋭く澄んだ水の色はでない。” 山口耀久 |
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6:45 槍沢ロッジに到着しました。 久々のフル装備の負荷が徐々にきています。 でも、ここから長く、そして険しい登りが始まりです。 |
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槍を思わせる先鋒 30年前に見た槍。 今も変わらないかな。 |
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雪渓が現れました。 人も多くなってきます。 上りと下り、道を譲りあいながら それぞれのペースで一歩ずつ。 登山はこれがいい。 |
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天狗原との分岐。8:50 ガスがかかってきました。 覚悟はしていましたが、まだまだ長い。 そして、登っても登っても続く登りに 心が少しずつ折れていきます。 |
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殺生ヒュッテまでといいながら やっぱり槍ヶ岳山荘まで行くことにしました。 お互いの顔から笑いが消えていきます。 2日目のプランは殺生ヒュッテまででした。 この分岐で時間は10時過ぎです。 プラン通り5時間でここまで着きました。が、 槍の肩まであと1.2km 相棒の足は止まりませんでした。 この先の1kmが本当にきつかったのですが、この選択が槍の朝日をくれました。 相棒に感謝です。 |
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12時前。ようやく槍ヶ岳山荘に到着しました。 ガスもはれ、槍ヶ岳がその姿を見せてくれました。 |
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相棒も上がってきて一息ついて テン場の申し込みに行ったのが12時半頃。 槍ヶ岳山荘のテン場は札制で場所が決まっていました。 お昼を食べて、ふと山荘の入り口を見ると キャンプ場受付締め切りの札が… なんと1時で30帳のテン場は一杯になってしまったようです。 危なかった〜 あぶれてしまった人は山荘に泊まるか 下の殺生ヒュッテに降りてくださいと書かれています。 ここまで来て、また降りるなんて・・ 実際肩を落として降りていく人たちが 何人もいました。 昼までにはつかないと。。 このことが その後もずっと教訓、いや強迫観念となりました。 |
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そして、ここで今回の縦走を揺るがす大事件が・・・ なんと相棒の靴のソウルが剥げてしまったのです。 長年愛用の革靴。 一度ソウルをはり直していたのですが、 これまでのそして今回の圧力に耐えきれなかったようで・・ あきらめて下山かと思っていましたが、 なんと、槍ヶ岳山荘にゴアテックスの靴が売っていたのです。 15,000円。余裕をもってお金を準備していた相棒。 これで、なんとか夢がつなげそうです。 |
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今回食料はすべて持参。 朝はわかめごはん、 昼は同シリーズのカルボナーラ、 夜はこれに、ドライフーズをプラス。 いろんな味が楽しめて、 軽くて早い。 食事が楽しみって、すてきなことです。 夕方またガスが上がってきて、雨になりましたが、 明日の晴れを信じて、8時に寝ました。 |
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“私はこう思った。 山に登るということは、絶対に山で寝ることでなければならない。 山から出たばかりの水を飲むことでなければならない。 ーそして山のその物と自分というものの存在が 根底においてしっくり融け合わなければならないと。 ー遂には山が自分の一部であり、 自分がまた山の一部であるいう風な心持になりかわったのである。” 田部重治 |
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3日目 8/12 |
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今日はいよいよ30年ぶりの槍ヶ岳登頂です。 気持ちがはやり、3時には目が覚めました。 4時前にテントを出て、山荘に行きました。 沢山の人がスタンバイしていましたが、 外はまだ暗く、しかもガスがかかっていて、 みんな、出るタイミングをはかっているようです。 もう待ちきれない。 4時35分。出発しました。 |
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最後のはしごを登る頃には明るくなってきました。 山頂までは沢山のはしごがかかっていて、 30年前よりはずっと安全に登れるようになっていました。 |
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5時山頂に到着。 | |
やがて雲が切れてご来光を見ることができました。 | |
くっきりと山が見えてきました。 | |
ものすごい滝雲。 人も少なく、感極まって1時間近くも山頂にいました。 |
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また、ガスが上がってきました。 明るくなって、登ってくる人の姿も見えます。 そろそろ、山頂を後にしなくては。 |
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下りは、行きとはルートが違い、鎖が多くなります。 上り下り共有のところもあるので、 落石に注意しながら、慎重に降ります。 みんなヘルメットをかぶっています。 山荘で500円でレンタルできます。 |
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槍ヶ岳の山頂の景色を反芻しながら朝ご飯を食べ、 テン場を7時半に出発しました。 この日のプランは南岳です。 3時間の予定なので、早朝の槍を満喫できました。 ゆっくり歩いても昼前にはテントを張ることができそうだったのですが・・・ |
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先に大喰岳(3101m)・中岳(3084m)・南岳(3033m)が見えます。 まずはそこまで・・・のはずが |
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中岳(3084m)8:35着 大喰岳は分かりませんでした。 |
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ガスも晴れ、道がはっきり見えてきました。 | |
南岳(3033m)9:50着 ここで泊まるつもりでしたが、 思ったより早く着いたので、北穂まで足を延ばすことにしました。 いつもこうやってハードになるんだよな。 相棒の心の声が聞こえてきましたが、 明日、大と小二つのキレットを行くリスクのほうが大きいと考え、決断しました。 いよいよ大キレットに足を踏み入れます。 せっかくのキレット ガスの中で終わってしまうのは残念だったのですが 今回の山は何かに守られています。 歩きだしたら見る見るガスがきれ 憧れの大キレットを満喫することができました。 |
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いきなりの急降下 三点支持を意識しながら、ザックにふられないように降りていきます。 この時のために持ってきたザイル、ハーネスのアンザイレンセットも装着しました。 |
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今から歩いていく道が霧の中に浮かび上がります。 | |
細い尾根道を歩いていきます。 でも足場はしっかりして、それほど危険は感じません。 ここで、槍ヶ岳で一緒だった井口さんにお出会いました。 上高地から槍ヶ岳山荘まで一気に来たという健脚の方です。 60歳を超えておられるそうですが、 山登りのために、フルマラソンで、常日頃体を鍛えているとか・・ スキーの世界も、山の世界も 私たち50代はまだまだ鼻たれ小僧のようです。 |
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大キレット最低部2748mまでおりきりました。 ここからは登りです。 槍ヶ岳キャンプ場から270mダウンし、北穂まで350m登り返します。 |
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そして、大キレット難関の一つ、長谷川ピークにやってきました。 緊張しながら、一歩一歩 |
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親指ピーク(鳥取県大山山系)のように細い岩場を巻いていく道がずっと続きます。 怖いけれど、鎖や足場もあるので、 相棒曰く、親指ピークの勝ち!? |
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人が前後にいると、気持ちがせきますが、 足場を確認しながら慎重に。 |
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A沢のコルが始まりました。 北穂高の山小屋が見えているのですが、 ここからが長かった。。。 |
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北穂高の北峰でしょうか。 | |
おそらくここが飛騨泣き まだまだ、気が抜けません。 岩を巻いていくところで、ザイルを組みました。 岩が十分乾いているのでザイルは必要ありませんでしたが、 せっかく練習して準備したザイルです。 多分ここで使わなかったら一度も使わないことになりそうです。 後続のパーティには申し訳なかったのですが、 アンザイレンさせてもらいました。 安心感が違います。 飛騨泣きを一度も怖いとは感じませんでした。 |
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ジクザクの急登に入りました。 昨日の槍と違い、先が見えているだけに心が折れます。 山荘は見えているけれど、それを見ることもつらい。 でも、もうとっくに昼を過ぎています。 もし、テン場が取れなかったら・・・ 昨日の13時テン場シャットダウンの強迫観念にかられ、、 がむしゃらに登って、テン場確保に受付に走りました。 でも、北穂はとても簡単にテン場がとれました。l あれ?? その理由は後で分かりました。 相棒は強かった! ほとんど休憩をとらずに先行してくれました。 自分が着いた時には すでにテン場の権利を確保していました。 大キレットは 深くて長かった! |
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13:50 北穂高山荘に着きました。 8kmの行程、6時間55分。 緊張と疲労で体はヘロヘロです。 この一杯が最高!! 一緒に登ってきた人たちと、握手、乾杯の雨嵐。 同じ道を歩いたからこそ分かる恐怖、辛さ、苦しみ。 それを乗り越えて、今ここにいること。 互いの満面の笑みの中ににじむ涙が 言い尽くせない喜びと感動を伝え合います。 登っているときは自分との闘いだけれど、 こうして、名前も知らない人たちと 心の琴線を響かせあうことができる。 これも素晴らしい山の贈り物ですね。 |
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北穂高山頂(3106m) ガスで何も見えなかったので、 明日の天気回復を待って写真を撮ることにしました。 でも、この後3回来ることになりました。 そのうちの2回はトイレです。 |
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今回唯一見れた雷鳥です。 親子でした。 かわいい。 |
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北穂南陵のテン場にテントを立てていると、 どんどん雲がはれてきて 奥穂高・前穂高をはっきりと見ることができました。 |
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北穂高山頂も見えてきました。 そう、山荘(トイレ)はあの山頂の向こうにあるのです。 夜の12時、トイレに行くために、 月明かりの中ここを登り返した時は 本当に怖かった。 |
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翌朝5時5分、ご来光。 私は、トイレに行ったので、 またまたお会いした井口さんと山頂でご来光を見ました。 |
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朝焼け | |
7時 朝ご飯を食べ、 雲一つない山頂に記念撮影に行きました。 今回4回目の山頂ですが、 何度来てもうれしい。 |
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昨日あの槍から来たんだね。 行程の長さと苦しさを反芻しながら 長年の夢だった大キレットを踏破できたことを実感しました。 |
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昨日登ってきた山荘の裏に戻って、 長谷場ピーク、飛騨泣きを確認しました。 改めてすごい。 朝7時だというのに、もう岩に取り付いている人の姿が見えます。 |
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これから行く小キレット、常念岳・蝶ヶ岳の姿も見ることができました。 | |
滝雲がまた山を覆います。 刻々と変わる山の姿。 人間はその大きさに翻弄され 憧れ、そして抱かれているのですね。 “山は泰然としている。毅然としている。超然としている 山はどうみても巨人である。 このようにたやすく擬人化できるところに、 海にはない山の魅力というものがある。 今西 錦司” 一緒に見ていたご婦人が話しかけてきてくださいました。 山が好きで劔岳にも上られたそうですが、 大キレットの方が5倍きついと言われて、 大キレットに行くのをためらっているとか・・。 60代後半とお見受けする上品な雰囲気の方でしたが、 娘さんに勧められて、最近ロッククライミングを始められたそうで・・ 山に来るために ドキドキワクワクできる心の若さと体力を 私たちももち続けていたいと 改めて思いました。 |
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テン場に戻って、パッキングをしていると なんと、山仲間のけいちゃんとえいこちゃんに出会いました。 涸沢から小キレットを目指すそうです。 去年は槍に登り、今年は奥穂。 私たち同様、すっかり北アルプスの魅力に取り疲れた二人です。 |
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8時半。 小キレットに向けてスタートしました。 大キレットに比べると短いですが、 技術的にはこちらの方が難しいといわれている小キレット。 緊張します。 |
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景色はよく見えますが、 見えるだけに怖い。 両側崖の岩場を何度もトラバースします。 |
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岩を登り、岩を降りると また先に道が見えます。 |
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小キレット最低コル ここから登り返しです。 相棒は強い! 休憩をとりません。 体力に比例しペースが違うので次第に間隔が開きます。 何より無理は禁物 自分のペースを守ります。 左上の写真は「ここで休もうよぉ。」のポーズ |
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鎖の連続です。 落石一つも命にかかわります。 一人ひとり、間隔を開けて登ります。 ヘリコプターの音が聞こえてきました。 何かあったのかもしれません。 とにかく今目の前の岩を登らなくちゃ。 |
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11時涸沢岳登頂です。 3110mと書かれていますが、 近年標高の見直しで3103mとなりました。 |
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11時40分。穂高岳山荘に着きました。 1.5km、3時間10分と行程は短かったけれど、 緊張感は満載でした。 すぐに、テン場の確保。 一人1000円でここもフリーサイトでしたが・・・ |
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みるみるいっぱいになり、 夕方には ヘリポートのところだけでも50帳のテントが張られていました。 狭い岩肌にはみ出している1テンや 張るところがなくなって 雪渓の上に張っている人もいました。 まさに、繁忙期なのですね。 私たちは、昨日のトイレで苦労したので、 一番トイレに近いところに張ることができました。 午前中の到着は大正解でした。 小屋のテラスから数歩のところのサイトを確保できました。 繁忙期のテント場確保は午前中が原則です。 足の速い相棒に心から感謝です。 |
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奥穂高はアプローチ多彩。 涸沢もカラフルなテントで埋め尽くされています。 2時ごろは、上り下り共有の登山道は大渋滞でした。 |
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ここで、またまた井口さんとご一緒できました。 井口さんも含め、同じテーブルに座った人たちと 大宴会が始まりました。 フルマラソンをしている人。 冬山に行く人。 自転車に乗っている人。 アクティブでバイタリティーな人たちの話に 元気をもらいます。 「ぐったりして山荘で寝ている人もいるけれど、 こうやって、飲んで騒いでるやつはなんかしとる。」 「三大キレットの最高峰大キレットを目指しとったのに、 おたくらのおかげでしょぼくなったわ。」 強面で、ちょっと見怖い山屋さん 私たちもそのお仲間に入れていただいたのかな… 6歳の子供がフルハーネスで奥穂高から降りてきました。 最年少の山屋かな。 みんなの祝福を受けていました。 |
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5日目 8/14 |
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朝4:00 今回の縦走の最後の日です。 奥穂高に向けて出発しました。 |
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4:40 山頂に到着です。 |
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着いた時はは暗かったけれど、 山々がその姿を見せ始めました。 槍がきれい。 |
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残念ながら、雲が多く ご来光は見れませんでしたが、 朝ぼらけに浮かび上がる山の景色が 心を清々しい空気で満たしてくれました。 |
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さすが井口さん ベストポジションで山頂にいらっしゃいました。 本当は今日涸沢から降りるといわれていましたが、 前穂縦走に挑戦です。 明日は乗鞍に行ってみるとか。 お互い夢は尽きません。 |
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ご来光をあきらめ、5時40分。 前穂高に向けて出発しました。 |
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前回はガスがかかっていて分かりませんでしたが、 山肌に細く続く吊尾根 結構怖かった。 |
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紀美子平6:45着 ここに荷物をデポして前穂高を目指します。 |
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前穂高岳(3090m)7:10着 私は10分ぐらい、一人山頂を満喫させてもらいました。 歩いてきた道を見ながら ここに来られた幸せをかみしめました。 産んでくれた両親、 ラインで応援メールをくれる子どもたち 本当にありがとう。 |
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“アルペンの風貌。 その骨格と気品、力強さ、深さのある山のかたち、 とともに独自のうつくしさをかねそなえ、 ときに優しさをもっている。 穂高はそんな山だ。” 近藤信行 |
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ここまで歩いてきたんだね。 自然はでっかい。 そして、人は小さい。 でも、一歩一歩歩けばいつかは夢にたどりつける。 |
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常念・蝶ヶ岳稜線 | |
富士山も見ることができました。 | |
7:50 再び紀美子平に降り出発です。 |
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いきなりの鎖の連続 そして急な下り 重太郎新道は本当にえぐい |
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奥穂高岳3190m 前穂高岳3090m 紀美子平2910m ちょっと休もうか・・・ 雷鳥広場2820m ちょっと休もうよ・・・ 標高100mずつ降りていくことを実感します。 |
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岳沢2170m 10:20着 奥穂から1000mダウンしました。 疲労困憊。 ごはん食べたいね・・・ でも、上高地まで降りることにしました。 始めのプランはここでテント泊でした。 出発から6時間半 でも時間はまだまだあります。 上高地までコースタイムで1時間半 「行こうか!」 今回の登山の定型パターンです。 とにかく 下山したら体を鍛えなきゃ!!! |
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岳沢から上高地までは4km。さらに665mダウンです。 とても素敵な道なのですが、 楽しむ余裕がすでになくなっています。 |
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12:30 ようやく上高地に降りてきました。 休む間もなく、 そこから二手に分かれ 相棒はテン場の確保。 私は、帰りのバスの整理券の確保に向かいました。 バス乗り場は長蛇の列で、 今日帰るつもりで、乗車券を買っていたのに、 16:00までの整理券がすでに完売で、予定変更を余儀なく慣れている人 バスをあきらめて、新島々までのタクシーの相乗り(12000円くらいで、4人で割るとバス代と同じ) を声掛けしている人 繁忙期は、前倒しでいかないと 大変なことになるんだと 前回の槍のテン場同様 空恐ろしい思いをかみしめて、 30分整理券乗り場に並びました。 |
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その間に、相棒は素敵なテン場を確保してくれていました。 懐かしの川沿いはもうテントが張れなくなっていたのが ちょっと残念だったけれど、 静かな木々の間で お昼を食べて、お約束のビールを飲んだら 12km、8時間30分の長い一日が 幸せに思えてきました。 相棒のおかげで日々を乗り越えてきた気がします。 思えば大学の時も登りの荷物が下りで逆転していました。 今回も本当にありがとう。 |
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落ち着いてから、明日のお風呂と井口さんの姿を探して河童橋へ。 残念ながら、井口さんにお会いすることはできませんでした。 いつかまたどこかの山でお会いできるといいな。 河童橋付近でお土産探し。 美味しい野沢菜と息子へのお酒を見つけて 登山靴も発見しましたが、 どれも槍ヶ岳山荘よりも高くてびっくり。 本当にあそこにあの靴があったのは、 天からのお恵みだったのだと実感しました。 お土産屋さんでちょっと贅沢にワインとつまみを買って テントに潜り込んだら 4日間の感動と疲れが押し寄せてきて、 6時には寝ていました。 |
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6日目 8/15 |
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夜中に何度かトイレで目が覚めました。 歩いて数分でトイレに行ける幸せ。 水が蛇口から出てくることも併せて 本当にありがたいことです。 4時に目が覚めてしましました。 今日明日は雨の予報。 今回、夜は少し雨が降ったものの、 歩くときに一度も合羽を着なかったのは 本当に天気に恵まれていたんだと改めて思いました。 二人で河童橋までふらふら足を延ばしましたが、 山は雲に覆われていました。 もう寝れない。 このライフスタイルに慣れてしまったので、 5時には朝食です。 |
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今回本当に助けてもらった尾西のアルファ米とドライフーズ ドライフーズはちゃんとお湯の分量を守れば、 本当に美味しかったです。 気圧の差で上ではパンパンでかさばったのがちょっと大変でしたが 次回少し工夫すれば、それも解消できそうです。 |
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朝ご飯の間話してちょっと贅沢ですが 6000円の常設テントを借りることにしました。 6時に受付に行きましたが、二つしか残っていませんでした。 二人で1600円のテントから差額を払うと、 財布はかなり寂しくなりましたが、 ぽつぽつと降り出した雨に やっぱり正解!! 相棒の一工夫で 快適なおうちができました。 断続的に降る強い雨に この貸しテントは大正解でした。 いろいろな家族がそれそれのテントを立てていましたが、 貸しテントと道具の道具のレンタルで十分上高地を楽しめます。 バーベキューセットも炭がついて1000円です。 今度観光に来るときはこれにしよう! 観光では来ないだろうなぁ・・・ 次は西穂だなぁ。 |
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7時。 五千尺ロッジのレセプションの人にもらったお風呂地図をみて、待望のお風呂へ。 小梨平キャンプ場にもお風呂ができたんだね。 レセプションの方のおすすめのルミエスタも魅力でしたが、 近くてきれいなアルペンホテルに行きました。 チャレンジよりは短かったけれど、 5日間体は毎日拭いていたけれど 3回洗わないと泡立ちませんでした… 5回洗って、ゆったりと1時間湯船につかると 体が融けました。 |
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今日一日は観光の日。 30年前は一人で行った?明神に 初めて二人で行きました。 |
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日本アルプスを世界に広めたウエストンを道案内した上條嘉門次が開いた嘉門次小屋 今も子孫の方々によって、受け継がれているそうです。 奥の囲炉裏がなんとも風流で、満席です。 4組限定の宿でもあるそうですが、予約でいっぱいでしょう。 |
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そして明神池へ。 | |
静かな佇まいの姿に心洗われるようです。 日本人なのですね。 |
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豊かな水の恵みに根をはる木々の美しさ ここは守るべき原始の地。 |
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奥宮に手を合わせ、子どもたちのことをお願いしました。 対岸の遊歩道は整備されたきれいな道でした。 マガモの親子のドラマに一喜一憂しながら ゆったりと流れる時間を楽しみました。 河童橋に着くころには雨が本降りに。 常設にして本当によかった。 |
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小梨平キャンプ場の食堂内にある売店で買い出し。 その品ぞろえに ビックリ!! 米は1合100円から売っています。 ラーメン、スパゲティ、レトルト食品も原価とほとんど変わりありません 調味料も小分けしてあります。 野菜・果物もばら売り。 下着や靴下、日用品も一通りそろっていました。 お酒も種類豊富。 二人で1升2000円の白ワインと100円のつまみ、200円の缶詰を買って、 昼から夕方まで常設テントで 上高地最後の打ち上げをしました。 何もしない時間 山での時間はもちろん最高だったけれど、 一番贅沢な時間だったかもしれません。 夕方、降りしきる雨の中、山を降りてきて テントを借りに行く人もいたそうですが、 もう、常設もテン場もいっぱいでシャットアウト。 どこで寝るのかな。。。 申し訳ない気持ちになりながら 広い常設の中で久しぶりに体を伸ばして寝ました。 |
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7日目 8/16 | |
いよいよ上高地を後にします。 昨日からの雨で展望は見えませんが、 心の中にはあの景色が焼き付いています。 懐かしのこの場所で やっぱり撮ります。 |
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11時過ぎまで、ビジターセンターでゆっくりと過ごしました。 今回2日間上高地でゆったりとした時間を過ごせたことは 本当にいいリハビリになりました。 終わりにアサギマダラが見送ってくれました。 最後にバス停のインフォメーションセンターで ナイロンザイル事件『氷壁』のモデルとなった石岡繁雄氏のパネル展を見ました。 高度成長期、誰もがより高名な山を目指す中で 実弟の死を通して 登山の安全をいち早く世の中に訴え、 20年も戦い続けられた尊師の一生 実際に見せてもらったナイロンザイルの実験は、衝撃的でした。 私たちもザイルに命をつないでもらっていますが、 こうした方たちのおかげで より安全に登山ができているのだなと思いました。 私たちが上高地にいる間にも、 北アルプスを含む日本各地で遭難事故があったようです。 小キレットできいた大きな音。 そしてヘリコプター。 やはり、そうだったのか。 生きて帰ること 当たり前だけど一番大事にしないといけないこと 今回の行程を思うと、 ケガなく帰れたのは、 計画と準備、体力、技術、 そして守ってもらっているものの存在があってこそ。 |
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“山はありがたいものだと思う。 ー偉大、神秘、至上なるもの前に首を垂れる時の、 厳粛敬虔の念、 畏るべくして親しむべく 愛すべくして馴るべからざる感 身も心も慄えるような崇高な一種の歓喜” 中村清太郎 ビジターセンターで見た詩を思い起こしながら 12時40分、上高地を後にしました。 |
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釜トン ここを越えたら現実が待っています。 でも、それこそが越えていかなければならない道です。 |
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さぁ、これから 体も鍛えなくちゃね。 仕事も頑張ろう。 山との出会い、人との出会いが 心を健やかに、前向きしてくれました。 次はどこに行こう。 二人で地図を広げながら電車の中で話します。 一つの夢から次の夢へ。 ここはやっぱり始まりの場所です。 思いがけず一緒の休みが取れ、あわただしく決定した今回の山ですが、 30年前から憧れていたコースです。コースプランはすぐに決まりました。 少しでも山の足になるため、毎日家の周りを歩いたり、筋トレを重ねたりしました。 相棒は直前に10日近い山歩きを経て、今まで以上に体を作っていました。 同じ目標をもてて、同じ時間と同じ空間を過ごせて、自分は本当に幸せだと思います。 次の山は決まりました。 その時のために準備を始めます。 |