冒険について

Adventure
(アドベンチャー)


冒険とは学びで、まさに「学習」である。


冒険のもつ暗喩(メタファー)について

 冒険とは、リスクを受け入れることことである。そして、リスクとは(危険・不利などを受けるかもしれない)危険や恐れのことで、受け入れるとはそういうことを覚悟してやる、ということである。
 社会生活を営むにあたって我々は、さまざまな場面でリスクに挑戦しなければならない。リスクは、回避してばかりいると逆にストレスになって蓄積する。日常生活において、困難に直面したとき、これを避けて問題を先送りにするのではなくて、積極的に立ち向かおうとする強い心は冒険プログラムによって育てられる。
 冒険には、読んで字のごとく「危険を冒す」というイメージが強い。「リスク」の意味を身体の危険という視点で捉えると、過去たくさんの冒険家が行ってきたような、アマゾン急流下りや南極探検のようなドラマチックな展開を想像してしまう。まさにそれ自体は冒険に違いないのであるが、教育の世界にそういう冒険を気軽に取り入れることは難しい。
 冒険プログラムは、日常生活で起きているさまざまなリスクをプログラムの中で再展開し、解決の方法を探る一つの手法で、決して心身を危険にさらすプログラムばかりではない。

冒険という言葉のもつ意味

 冒険とはすなわち「アドベンチャー」で、この「アドベンチャー」を語源からたどってみると、実は冒険のイメージが広がる。アドベンチャーは、「アドベント」と「ベンチャー」の複合語で、「アドベンチャー」には「到来する」という意味がある。その基には、キリストがやって来るという希望に満ちた意味があるらしい。「ベンチャー」には、「思いきって進む」という意味があり、合わせて「進む先には素晴らしいことが待っているよ!」というメッセージが「アドベンチャー」という言葉の中に見えてくる。
 だから、「変化を楽しもうよ!」が、冒険のテーマであると考えられる。

学びの瞬間

 知らなかったことを知ったとき、できなかったことができたとき、「へぇー。そうなんだ。」「やった!できたぞ!」と心が動く。この感情の瞬間が、個人の変化の瞬間で、我々はこの瞬間を「学びの瞬間」と呼んでいる。「学びの瞬間」が訪れれば訪れるほど、変化は顕著に現れ、自信の変化を実感し、それ自体を楽しむことができる。
 しかし、心が開いていなければ学びを受け入れることはできず、そこに楽しさがなければ心を開くことはできない。すなわち、学ぶためには、楽しいと感じることのできる環境作りが大切になる。

日常と冒険

 人が無意識に集まると、人と人との間には必ず距離ができる。その距離は、実は自分自身を守る距離で、意識して初めてその距離が縮まる。
 人と人との距離を縮める手段が、コミュニケーションと言われていて、それは、練習し訓練しないと培われない。立つこと自体が冒険ならば、生活とは冒険の連続で、無意識のうちに冒険の機会をくり返しながら人は生きている。変化は意識しないと始まらないから、日常の冒険を以下に意識して過ごしているかで、「学びの瞬間」を得る機会が変わってくる。

冒険プログラムとは

 冒険プログラムとは、アドベンチャーを通して楽しむ方法を知り、変化を意識する練習をすることである。そしてそれが、日常で起こるさまざまなリスクに立ち向かう力となる。