夢は叶えるもの
憧れのペルー旅

Lima・Nazuca(リマ・ナスカ)編
2024(R6)7/1-7/3


7月1日 出発
平成6(1994)年4月~平成9(1197)年3月 カラカス日本人学校 ベネズエラ在住

あれから27年がたちました。

ベネズエラにいるときから行きたかったペルー
当時は、政情の関係で外務省からの許可が下りず、
行くことができませんでした。

南米までの渡航は2日がかり。
旅行には少なくても一週間は必要なので、働いている間は無理。
退職したら絶対に行こうと、相棒と決めていました。

でも、実際準備を始めてみると・・・
日本から南米へのツアーは数が少なく、
あっても、一人180万という高額。

しかも、私たちが行きたい
マチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵、レインボーマウンテン
を網羅できるツアーは、日本のJTBなどの旅行会社では見つからず・・・

そして行き着いたのがVELTRA。
VELTRAは国内/海外のオプショナルツアーを予約できる現地ツアー専門サイトです。
ホテル代、ペルー国内の移動費、各旅行場所の入場料金、、一部の食費、ガイド代を合わせて
二人で108万円
JTBでとってもらう日本-ペルーの往復の二人の旅費が93万円
合わせても、日本のツアーの一人分とさほど変わらないことがわかりました。

航空券は、JTBで、
現地のツアーは、VELTRAが委託したペルーの旅行会社ミッキーツアーとメールなどでやり取り
という二重の手続きをすすめることになりました。

マチュピチュは入場制限の問題があり、入場券を手配できるとは限らない・・
ペルー入国には、ビザは必要ありませんが、
アメリカはトランジットで渡航する際にESTA渡航認証を取らなければならない…
航空券は予約できても、チェックインは1日前に自分たちで行わなければならない。
など、手続きは煩雑で分からないことだらけ。。。
相棒が、パソコンに釘付けでいろいろな手続きを頑張ってしてくれました。

私にできることは…
現地で日本人ガイドがつくとはいっても、全てではない。
空港でのやり取り、一部移動は自分たちだけでしなくてはいけないなど、
現地では、スペイン語は必須です。
日本に帰ってずっと触れることのなかったスペイン語
毎日トレーニングをしながら
You Tubeでスペイン語会話を聞いて耳慣れして
最低限必要だと思われる会話ができるように、勉強しました。
でも、言葉は生きている。
通用するかどうかは未知数です。

考えられる準備を全て整えても
何が起こるかわからないのが南米。
不安は尽きません。。

冒険に必要なものは
準備。
そして一歩踏み出す勇気。

夢をかなえるために、二人で旅に出かけよう!!
7月1日朝5時、家を出ました。

7/1 7:35  岩国空港発 ANA632便 
   9:10  羽田空港着
   11:00  羽田空港発 ANA110便  
   11:10  JFK空港着
   23:45  JFK空港発 ラタム2469便  
 7/2  6:50  リマ空港着

天気予報は大雨。
心配していましたが、雨は小ぶりで駐車場から空港までの移動も問題なくできました。

空港で買ったおにぎりで乾杯!!
さぁ、始まるぞ~
時間通り岩国空港を出発しました。
羽田までは1時間半。
あっという間でした。
羽田空港に着くと、滑走路はANAだらけ・・・
その理由は帰りに分かりました。

羽田空港は第1~3ターミナルまであり、
ターミナル間は無料バスかモノレールでの移動になります。

第2ターミナルはほぼANA専用。
行きは、アメリカまで全てANAだったので、
ターミナルの移動や荷物の引き取りもなく
羽田で日本のビールの飲み納め!?をする余裕がありました。
そして、JFK空港までの11時間は長かった。。。。
でも、一人一人にモニターがあり、映画見放題
飲み物サービスの時のビールも無料。
日本語も通じて、旅行気分が味わえました。
そして、日付変更線を越え
同じ7/1の午前11時10分にアメリカJFK空港に着きました。
11時間乗って、10分しか進んでない…
変な感覚です。

ここでは、23:45のリマ出発まで、11時間35分の待ち合わせ…
長かった~
  とりあえず昼ご飯
フードコートのあるターミナルに移動して
一番安そうなところを探したのですが、
ビールが1本8.5ドル 1600円もしました!
二人でサンドイッチを分け合っても
一食32ドル
円安の恐ろしさを実感しました。
ご飯を食べたらすることもなくなり、
第8ターミナルまである空港をつなぐモノレールに乗って
空港散策しました。
8つのうち3つのターミナルはは改修工事中でしたが、
とにかく広い。
アメリカはBigだ~
 モノレール動画220240701
飲み物食べ物が高く、
夕飯もビール(これは必須)と二人でフライドチキンをシェア
それでも36ドルかかってしまいました。

うろうろするのも疲れ、
保安検査場を抜けて、搭乗口で待つことに‥
相棒の英語にお任せして、無事に出国審査はクリアしましたが、
保安検査場で私の持っていた水は没収されてしまいました。
アメリカは審査が厳しく
100mlを越える液体の機内持ち込みは禁止されています。
事前に調べて、歯磨き粉を含めた液体は、
100ml以下の容器に入れジップロックに入れていたのですが、
アメリカの空港で補充した水のことは失念していました。

そしてもう一つ危なかったのは、スペイン語なまりの英語の館内放送
いつの間にか搭乗口が変わっていて、
たまたまトイレ前の電光掲示板を見て気づき、大慌てで移動しました。
私たちの語学力では、早口の館内放送が聞き取れなかったのもありますが、
搭乗の際、ネイティブの方でさえも
スペイン語なまりの英語のアナウンスに
首をかしげていらっしゃたのを見て
私たちだけじゃなかったんだと実感しました。
JFK空港からはラタム航空に乗り換えです。
時間通りに出発するはずもなく、
飛行機に乗って1時間は待ちました。
ようやく離陸したと思ったら、
真夜中にもかかわらず
夕食が出てきたのにはびっくり・・

機内も日本語は一切聞こえなくなり、
いよいよスペイン語の世界が始まりました

さぁ、目が覚めたらペルーだ
緊張と不安と、そして楽しみ。
そう、楽しもう!! 
 


7月2日 リマ観光

 正式名称 ペルー共和国 Republics del Peru
首都 リマ Lima
面積 約129万㎦(日本の約3.4倍)
人口 約3182万人(20178年推定)

沿岸部11%に人口の56.3%が住み
山岳部28%に29.7%
密林地帯60.3%に14%の人が住んでいる。

通貨 ソル 1ドル=約3.2ソル 1ソル=約51円
公用語 スペイン語 山岳地域ではケチュア語も話されている。
日本との時差 -14時間
ペルー到着動画20240702
   早朝6時半。
ついにリマ・ホルヘ・チャベス国際空港に着きました。
ドキドキした入国審査も、滞在期間ぐらいしか聞かれずスルー
荷物を受け取り、空港ロビーに出ると
日本人ガイドの野田さんが出迎えてくれました。

やったー日本語だ~
野田さんにいろいろペルーのことを教わりながら
現地の方が運転される車に乗って、ホテルへ向かいました。

7/2火曜日の朝7時半
通勤ラッシュの真っただ中。
リマの道路は大混雑でした。
車線はあってなきがごとし、割り込みの雨嵐で
何度ぶつかった!と目を閉じたことか・・
相棒はカラカスでの運転を思い出したらしく
何故かワクワクしていました。
空港から30~40分といわれていましたが、1時間半かけてようやくホテルに到着しました。  
ホテルのある場所は、リマ郊外のミラフローレスMIraflores
公園やショッピングセンターも多くある沿岸の新興市街区で、
リマの中では比較的治安もよく、メイン通りは夜でも歩けるところでした。
HotelはHOLIDAY INN
こじんまりとしたきれいなホテルでした。

ペルーの5月から9月は冬。
リマは、平均最高気温は19.1度最低気温は14.6度で
湿度が高くどんよりした日が続くのだそうです。
リマの標高155mで、冬といっても比較的日本の春に近い。

でも、このあと行くクスコは標高約3400mで朝の最低気温は1度、最高気温は15度。
春用と冬用、日本で衣類を準備するのに迷いましたが
ダウンなどの上着は必須でした。
エアリーチャックインを申し込んでいたので、
朝食が付いていました。
バイキング形式で
野菜、果物がたくさんあって
とてもおいしかったです。

今回の旅行では、毎日バイキング形式の朝ごはんで、
しっかり野菜果物をとったので
心配していたおなかの調子もまずまずでした。

慣れなんかったのは、トイレ事情
紙がないところも多いと聞いていたので
日本から流せるティシュなどを持ってきました。
紙はほとんどの所にあったのですが、
下水の関係で、使った紙はトイレには流せず、
横にあるごみ箱に入れないといけません。
もちろん、ウォシュレットはなく、、
汚れている紙をゴミ箱に入れる罪悪感を
払拭するのに時間がかかりました。
食事をとって、一息ついたら
10時半から市内観光に出かけました。
車は朝よりは少なくなっていましたが、それでも交通量は多く
街は高層ビルが立ち並んでいました。
リマはペルーの産業の50%以上が集中している大都会であることを実感しました。
車で旧市街区へ。
ここは、1988年UNESCOによって指定された世界文化遺産です。

実は、ペルーは複合世界遺産に登録をされているマチュピチュ遺跡を含め、
ナスカの地上絵、クスコ市街など
自然遺産、無形文化遺産を含めると21の世界遺産があるのです。
車から降りて旧市街地を歩きます。
アルマス広場から五番目のように伸びています。
バルコニーなどコロニアル建築が並ぶカラフルなウニオン通りです。  
 散策の動画20240702
主に見学したのは、ここサンフランシスコ教会・修道院
いろいろな装飾が美しく、リマの建築群の中でも最も美しい建築物として
有名だということでした。

ある一定の人数になるまで待って、ガイドが案内しないと入れないそうですが、
私たちは、野田さんがいてくださったので
そのまま入ることができました。

壁の壁画や祭壇ももちろんとてもきれいだったのですが、
地下にあるカタコンベ(墓地)に驚きました。
神様の近くに埋葬されたいと願った昔の人たちの人骨が
大量に並べられていました。
私たちが見学したのは地下1階のみでしたが、
地下3階まであるそうで
ここに眠る人の数は
何千人なのだろうか・・・・
 サンパラードス駅
長期休みの時だけアンデス鉄道の発着に使われ
普段は図書館になっているそうです。
 
  中央郵便局 
サント・ドミンゴ教会
地震による修復中でした。 
 
カテドラルとアルマス広場
ペルーはどの都市にも旧市街の中心にはアルマス広場とカテドラルがあります。
それは、ペルーの歴史に関係があります。

実はアンデス文明とは、紀元前3000年ごろから様々に生まれて消えていった文化の総称。
カラル文化を起源とするたくさんのプレインカと呼ばれる文化が存在していました。

たくさんの文化の流れを受けて13世紀ごろに登場し、
アンデス山脈全域を収めたのがインカ帝国。
その最盛期は第9代皇帝パチャクティ(1438年~1471年)で
マチュピチュを築いたのもパチャクティだといわれています。
パチャクティの時代に軍事力を増したインカ帝国は、9~11代のわすか3代で
北はエクアドル・キトから南はチリ・サンティアゴまで
全長4000km、面積100万㎦、人口1000万人を支配する大帝国となりました。

しかし、1532年、インカ帝国はわずか168人のスペイン人の侵略を受け崩壊。
最後の13代皇帝アタワルパは様々な罪名のもと、絞首刑に処され、
1533年8月29日インカ帝国滅亡は滅亡しました。

5000年以上にもわたるアンデス文明の集大成として登場したインカ帝国。
しかし、実際にアンデスを支配していたのは、15~16世紀のみで、
長いアンデス文明の中で、一瞬だけ輝きはかなく消えていったのでした。

その後、アンデスを支配したスペインは国を植民地化するにあたって、
まず主要な都市にアルマス広場とカテドラルを建設し、
そこを起点に都市を計画していったので、
どの都市にもアルマス広場があるのだそうです。
 3時間ほどの市内観光を終え、2時ごろホテルに帰りました。
一気に疲れが出て、夕方まで爆睡。
目が覚めて、街を散策してみました。 
ミラフローレスにあるスーパーマーケット
卵も20個ぐらい入って1パック
肉も野菜もキロ売りでした。
ベネズエラのsupermercadoを思い出しながら
見て回るのが楽しかったです。
今回のベルトラの旅行プランは、夕食が含まれているのは一日だけです。
ペルー最初の自分たちだけの外食は
地球の歩き方にも載ったことがあるというホテルの近くにある
Siete sopasというスープで有名なお店に行きました。

そこで、日替わりスープとお肉料理、ビールを注文。
頼むときはメニューを見ながら指させばよかったのですが…

頼んだ料理がもうないということで
違う料理を説明してくれるのですが、
それが全く聞き取れない。

更に、会計はクレジットカード払いにしたのですが、
料金のほかに自分で決めたチップを打ち込むというシステムが初めてで
分からず、オタオタ・・・

帰りに、ホテル近くのコンビニで
お酒を買ったつもりがシロップだったり、、、
覚悟していたつもりでも
スペイン語の壁に打ちのめされた初日でした。。。

7月3日 ナスカの地上絵

翌日は、6時の出発に合わせて5時に朝食。
昨日と同じバイキングですが、
ちょっとずつメニューが変わっていてうれしい。
国土の60%が密林地帯であるペルー
650種類もの果物類があるのだそうで、おいしそうな果物いっぱい。
でも、結局はスイカ、オレンジなど
食べなれたものばかり取ってしまいます。

朝食バイキングは、なんと11時までOKなのだそうで
まさにブランチ感覚なのだなと思いました。
野田さんと運転手さんがホテルまで迎えに来てくれて、ナスカの地上絵ツアーに出発。
リマから地上絵を見る飛行機がでるピスコ空港まで3時間半。
南米は広く移動が長い。
街並みを見ながら、野田さんんとおしゃべりながら、時々寝落ちして過ごしました。
ピスコ到着動画20240703
10時ごろピスコ空港に到着。
とても広い空港でしたが、空いているのは一つのカウンターだけ。
政治家が地元の業者から賄賂をもらい
無駄に広い空港に増築したそうですが、
使われているのは、昔からあるカウンター一つ。

賄賂はどこの国にもある話だけど、
こんなに目に見える形で残るのってどうなんだろう。。。
地上絵を見るツアーは260ドル
これは事前払っていた旅行費に含まれていたので、
空港税の11.6ドルを現地で支払いました。
少し、端数があったのをソルで払ったのですが、
「おつりがない。」と言われてしまいました。
空港なのにおつりがないなんて南米だなぁ。
とおかしくなってしまいました。
地上絵を見るための飛行機は、事故を防ぐため
11時、13時、15時と出発時間が決められています。
一機に載るのも12人まで。
朝5時に必ずテスト飛行をして、
その日の天候、風で判断するので、
出発時間通りに出ないことも多いそうですが、
11時に出発することができました。
席は、空港税を払う際体重測定をしてその結果で
飛行機の左右前後の比重が同じになるように座席を割り振るので、
近くになるとは限らないといわれていましたが、
幸いにも最後尾に二人並んで座ることができました。
 
地上絵が見れる場所に行くまで30分。
地上絵遊覧が30分。
飛行場に帰るのに30分。
90分のフライトです。
地上絵が左右の人に均等に見えるように、
旋回を繰り返すので、かなり揺れるということだったので
酔い止めを飲みました。
地上絵に向かう動画20240703
  
 空港でもらった地上絵の地図。
日本語で書かれているのに、びっくり・・
ナスカの地上絵は、20世紀になって飛行技術が進むと
パイロットの間で話題になっていた。
それを、アメリカ人のポール・コゾック博士が1939年ナスカ上空を飛行中に発見し、
学会に発表したことでその存在が知られるようになった。

その後、ドイツ人のマリア・ライへ女子が多くの地上絵を発見し、
保護と研究にその一生を捧げたと言われている。
そして、1994円世界文化遺産に指定された。

幅20~30cm、深さ5cmにも満たない線で、1000年以上も前に描かれたといわれている地上絵。
その数は、700以上あるといわれ、現在も新たな発見が続いている。

大きなものは数Kmにもなる地上絵。
一体誰が、何故描いたのか。
インカ帝国は文字を持っておらず、
キープと呼ばれる結縄で数量や記録を残したといわれているので、
記録が残っておらず、いまだ多くの謎に包まれている。

〇一体だれ描いたのか?
その広大さゆえ、宇宙人説がささやかれたこともあったが、
周囲に残された杭や石から、
高度な数学的知識をもった神官の指導の下、
拡大法によって描かれたとされる。

〇地上絵はなぜ描かれたのか?
1 天文的な暦としての役割
書かれた図形の30%は天体との関連をもったものであり、
夏至や冬至の太陽の位置を示すものが多いことから、
乾季や雨季を知るための暦に使われた。という説

2 雨乞いとしての役割
描かれた線の中の一部は、地下水脈の流れと一致している。
常に欠乏し人々の心配の種であった水を崇拝する
信仰の神殿としての役割。という説。

1000年の時を越え、その姿を保つ地上絵。
消えずに残った最大の理由は、極端に雨が少ない乾燥地帯であり、
地表近くに空気の層があり、風を防いでいることが考えられる。

-「るるぶ ペルー」-
-「ペルーとマチュピチュへの誘い」-より
広大な砂漠の中をひたすら飛んでいきました。
でも、所々に町があり、家やため池、そしてその横には緑も見えました。
厳しい環境の中でも、人々の暮らしがあるのですね。
そして、いよいよ地上絵が現れました。  
  
 王家  
  
 クジラ
 
 宇宙飛行士
セスナから見る宇宙飛行士 
 
 ハチドリ
 
 コンドル
 コンドル
 オウム
 
左がわが手                                         右がわが木 
 
 
 クモ
 
 花
 飛行の動画20240703

花や手、木、とかげなどの上を旋回しているのですが、動画では分かりずらい・・・
 ほかにもイヌやサルも見れたのですが、
撮影技術の無力さで何をとっているかわからず・・
でも、たくさんの地上絵をこの目で見ることができました。
地上絵を見てミラフローレスに帰ってきたにはすでに7時
カラカスなら絶対に出歩けない時間ですが、
大通りなら大丈夫ということで、
今日は、野田さんおすすめのTori polleriaにやってきました。
ペルー人はpollo(鶏肉)が大好き
至る所にPolleria(鶏肉屋さん)があります。
いろんな食べ方があるのですが、今日はpollo a la brasa (鳥の炭火焼き)
を食べてみることにしました。
昨日一皿ずつ頼んで多すぎた反省を生かし、
今日はMedio pollo(半分の鶏肉)を二人でシェアしました。
鳥の炭火焼きは、表面カリカリでとってもおいしかったです。

そして私たちが一番気に入ったのが、もともとはクスコの特産でしたが、
今やペルー全国区となったビールcusqunena(クスケーニャ)です。

お店には、dorada(黄金)、trigo(小麦)、negra(黒)の3種類がありました。
お店で飲むと1杯12ソル(約600円)、コンビニは6.5ソルで売っていました。
私たちが好きな味はdorada
きりっとした渋みがたまりません。
実は、この3つのビールはスーパーテイストアワードという賞を受賞し、
新たに出たrojaはダイヤモンドテイストアワー賞を受賞したのだと
日本に帰って調べて分かりました。
いやぁ、納得のおいしさでした。

その他に、この日私たちがアウトピスタ(高速道路)の売店で買ったのは、ピスコ
ピスコとは、ブドウを原料としたペルーの地酒です。
アルコール度は43%ですが
柔らかな口当たりで飲みやすい。
相棒は、ペルーにいる間寝酒で飲んでいたようです。

私は、マチュピチュでピスコサワーを飲みました。
ピスコにレモン・卵白・砂糖・氷を入れて作ったカクテルでとてもおいしかったです。
でもちょっと高くて、クスケーニャの倍の値段だったので、
贅沢すぎて,一杯で十分でした。

そして、この日うれしかったのは、店員さんが言っていることが
少し耳に入るようになってきたこと・・
アウトピスタの売店、空港、ピスコのお土産屋さん、レストラン、、、
スペイン語を聞いて話す機会が増えてきて、
全てではないけど、言っていることが分かるようになって
少しだけど返せるようになってきました。

日本で少し勉強したといっても、所詮は一方通行の会話を暗記しただけ、、、
実際の場面で役立つかどうか不安でした。

言葉は生きている。
人とのコミュニケーションの中で少しずつ身に着くもの・・
ベネズエラにいる時痛感したことが
少しずつ実感として思い出されてきました。
 
ホテルに帰って、
今日孫に買ったお土産をあけてニヤニヤ。

ペルーでは、すべてのホテルでWI-FIがつながったので
娘たちとLINEでやり取りすることができました。

ホテルで孫の動画や写真を見るのが
癒しのひと時…
さぁ、明日も楽しもう!!

アウトドアレポート