アメリカHIOBS研修 日々の記録
9月6日(日本時間)〜9月6日(ボストン時間)
私にとってバイブルと化した藤中さんの報告書を手荷物に詰め込んで、早朝6時に家を出たときからアメリカ研修が始まった。去りがたい家族とのしばしの別れと、わざわざ見送りに来てくださった手嶋さんに感謝するいろいろな気持ちを胸に抱きながら一人になった。興奮はない昂揚はある。「知らぬ土地に行くのだけれど、ここらの人も自分を知らない。」そんな気分だ。
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福岡空港にチェックインしてから荷物はぐんと軽くなって、ナーバスになっていた私の心も軽くなった。成田では、チェックインカウンターで便の変更を進められ、思いがけずビジネスクラスでのフライトとなった。シアトルまでの9時間、何でも飲み放題だった。「あっ」という間の到着で、入国審査への心構えができていなかったのと昨年の藤中さんの出来事を妙に想い出して気が気ではなかったが、「なして、も一回ボストンに帰るんかね。」という帰国時のフライトを聞かれて、「山に登るけぇ。」と答えたら、「ほんじゃ行っていいよ。」と、無事に通関できた。
さて、時間を合わせようとすると、「9月6日 10時45分」成田出発が同日の5時45分だったから、9時間飛んで、7時間戻ったことになる。なんか変な感じ。数時間の待ち合わせで国内線に乗り換えてボストンへ実質5時間。ボストン時間で9時に空港に着いた。 |
「ホテルまでは歩いてもいけますよ。」というJTBの人の言葉を一般的に受け取って、タクシーが空港構内を出て走り始めたのに驚いて、「話が違うじゃないか!」と運ちゃんにごね始めた矢先にホテルに着いた。来年は、歩く距離の感覚が一般じゃないあのJTBの人にキャンプを紹介しようと決めて、チェックインした。
明日はいよいよHIOBSだ!どんな出会いどんなアクションが待っているのかと思うと・・・変な気持ちだ・・・バイブルを読み返して、フロントで現地時刻を確かめて、・・・今日はお休みなさい。
9月7日(ボストン時間)
昨夜は時差ぼけを直すために結構遅くまで起きていたのだが、今朝は緊張のためか時差ぼけのせいか、5時半に目が覚めてついには眠れなくなってしまった。「8時15分のフライトだからちょっと早めに空港さ行こうかい。」と起き出して、日本に電話したりパッキングを直したりしていると、結構いい時間になってしまった。
空港でチェックインをするのに係の人が何か言っている。「あなたの事を誰も知らない。」「荷物はいつでも受け取れる。」と言うことらしい。何のことか分からないので、「どういうこと?」と聞き返したらますます分からなくなって深みにはまってしまった。席の予約が入っていなかったということか。とにかく搭乗券をもらったので、出発ゲートを確認してカフェテラスでサンドイッチをほおばった。あと数時間であこがれのHIOBSに到着する。ついにここまで来たのかと、感慨も深くなる。
| 思っていたよりも大きな飛行機(手嶋さんや藤中さんに充分恐れさせられていたので・・・)で、「あっ」という間にポートランド空港に着いた。30分以上荷物が出てこず、同乗していた客(他に3人しかいなかった)は「ぜったい忘れられているなあ。」と心配していたが、私はここまで来たのがなんだかとても嬉しくて、「これまでの人もここを通ったのだなあ。」とか、「藤中さんもこの階段を上ったのかなあ。」なんて思いながらうろうろ動き回っていた。アメリカ研修が始まって2日目にして、初めて心から嬉しくなった瞬間だった。 |
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地元の旅行会社のおじさんがHIOBSまで送ってくれたが、片言の英語ではコミュニケーションが難しく、「ムースにあえたらいいな。」と言ったら、何と自然動物園に案内してくれてムースを見学させてくれた。有料で、彼の分まで払うことになってしまったが、これは自分の英語がうまく伝わらなかったのではなくて、彼の好意に違いないと善意に解釈することにした。
動物園に寄ったので、空港から2時間かかってLLビーンマウンテンセンターに着いた。スタッフハウスに荷物を置き、息を整えて(出会いにものすごく緊張していた。)センターの門をくぐった。
スーザン、バーバラ、アンディ、スコットたちに出会うが、初めてあった気がしない。それもそのはず、手嶋さんの報告書や藤中さんの報告書の写真で見ているのだ。笑顔で握手をしたあと、スコットにスタッフハウスに連れて行ってもらう。あちこち説明を受けて、自分の部屋を選べと言われた。「日当たりのいい部屋がいいなぁ。」と言ったら、リビングの東側のベットが2つある部屋にネームを張ってくれた。これからここが自分の部屋になる。自分の居場所ができたみたいでなんだかホッとした。
荷物を整えて、再びマウンテンセンターへ向かう。人なつっこいおばさんエリーが、満面の笑みで迎えてくれて、地下にキッチンに2階にといろいろ説明してくれる。英語の分かるアメリカ人でもこれだけいっぺんに言われたらわからんやろなあ。なんて思いながら、前知識もあって何となく理解していく。
一番一生懸命聞いたのが、キッチンの使い方で、いくら自由に使っていいよと言われたって、最低限のルールはあるはずで、それをしっかり理解しておかないととんでもないへまをやらかすかもしれない。しっかり聞いて、やっと分かったことは、冷蔵庫の中のものは何でも食べていいと言うことと、使ったものは自分で始末すると言うことと、食器洗い機にセットすると言うことだ。冷蔵庫は、冷蔵庫というよりも冷蔵室というくらい大きいもので、それまでのコースで余ったものや、余った食材が入っている。詰まるところ余りのもである。この余り物が、その日のコースによって変わるので当たりはずれも大きい。 ゴープは、あった。となりの部屋にでっかいバケツにいっぱい入っていた。かわいい女の子(名前は忘れた)に「いるか。」と聞かれたので「うん。」と答えたら、スコップですくってビニール袋に入れてくれた。「よし。これで飢えることはない。」と妙に安心しながら、バナナとオレンジをポケットいっぱいにつっこんでスタッフハウスに戻った。
9月8日(金曜日)
時差のせいだ。朝の5時くらいからついに眠れなくなって、7時を待ってマウンテンセンターに向かった。ちょっと早かった。「あっ。こんにちは。」と言う感じで突然橋本さんにであった。橋本さんは、この春にスタッフトレーニングを受けて、今回の自分のコースからアシスタントインストラクターとして活躍するそうで、そのバイタリティには頭が下がる思いがする。
シリアスを食べていると、8時からスタッフミーティングが始まった。ミーティングと言っても自分も食事を持って聞いているし、テーブルにあぐらを組んでレスリーは話しているし、目的が果たせていると形にはこだわらないアメリカンの姿があった。
自分の担当のバーバラが「あとオフィスに来て。これからのスケジュールを話しましょう。」と言って…たようなので、シリアスを食べ終わってオフィスに行ったら、「明日からバックパッキングのコースだけど、それが終わったら何がしたい?」と聞かれて、これは言わなければ損だなと思って、あれもしたいこれもしたいと、思いつくまま話したら、「じゃぁコースが終わってから話しましょう。」と、先送りになってしまった。不安は残るが、きしむ車輪にオイルがさされる。と言うアメリカのことわざ通り、うるさいくらい言いたいことを言っておかないと損をする感じなので、これで良いのだと自分に言い聞かせて、とりあえず、今日の予定のハイロープコースの見学に行くことにする。
ボストンのハイスクールの学校行事に今年からこのHIOBSが組み込まれているそうで、先生も引率という形でありながら、コースには子供たちと一緒に参加して、このハイロープコースもコースの中では一人の生徒として参加していた。初めての現地でのハイロープコースの視察についても感じるところは山ほどあったが、この先生に、「子供たちがとても良い子供たちですねぇ。」と話しかけたところ、なんのてらいもなく、「そうだろう。とても優しくて、教養の高い子供たちなんだ。」と、本当に嬉しそうに自信を持って答えた先生に感動した。先生がこんな気持ちで子供たちに接していれば、子供たちが先生を信頼するのも当然だ。教職としてのプロ意識をここで見たような気がした。
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ハイロープコースは、10人の班で1班がじっくり1日かけて行った。時間にせかされるようでもなく、のんびりと、でも、いつもみんなが参加して。「グッド ジョブ」「ナイスジョブ」「ヴェリーナイスジョブ」午後からは、イントラからの指示やこえかけはほとんどなく、子供たちからお互いに声を掛け合っていけるようになったことはすごいと思った。このコースのディレクターのレスリーが、「ほら、もう子供たちはハイロープコースのエキスパートよ。」と言った。感動した。 |
9月9日(金)
今日から8dayBackPackingが始まる。橋本さんがスタッフとしてグループに加わってくれるおかげで、気持ちも随分楽になっているが、時間が迫るに連れて緊張感も強まる。
スタッフハウスの前が集合場所で、時間になってグループが集まってきた。なんだか無愛想なグループだなあ。と思ったが、今考えれば、一番無愛想だったのは、極力会話を避けている自分だったのかもしれない。
集まって、レスリーからいらっしゃいの挨拶があったあと、いきなり林に入ってネームゲームとイニシアティブゲームがはじまった。ネームゲームはネームトスで、イニシアティブゲームはローエレクトリックフェンスなので、説明は分からなくてもやりたいことは分かったが、グループの中での会話に参加できなくて、もどかしさと恥ずかしさでいっぱいになった。方言の違う子どもが転校してきて、いきなりお楽しみ会を催してもらったらこんな気持ちになるのかなあと、思った。 |
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次はダッフルシャッフルだったが、これは実に時間をかけてじっくりやった。靴下から下着まで、不都合な場合やない場合は、すべてセンターから貸し出される。食料は、8日分が全部用意されて、何番の袋に何が入ったかメンバーによってチェックされながら食料バックに詰められていった。自分は、食料バックを2つ持ったが、腹が立つくらい重たくて分厚い寝袋と合わせて、「なんじゃこりゃあ。」と思うくらいの重たいザックになった。 参加者たちの顔を見ても、特に女の子たちは「こんなはずじゃあなかったわ。」と思っている様子がありありと分かる。900ドル(10万円)の大金を払って余暇を楽しみに来た人たちで、これからどういう展開になるのか楽しみでもある。
その日は、次の日のロッククライミングに備えて、ロックサイトの近くにタープを張って、改めてシュラフと水筒を持ってナイトハイクに出かけた。トレールを随分登って、ロックサイトの近くまで来たら、一枚岩の平たいテラスにでた。ここが今日の宿泊サイトである。降り注ぐほどの星と、ほのかな稜線は見る人に感動さえ与えてくれる。
そして、ナイトミーティング。動機の確認と目的の確定。これがテーマなのは分かったが、インストラクタージョンの話しかけの言葉の抑揚と雰囲気が今ひとつつかめない。一番知りたいところがベールに包まれている感じだ。女の子一人が泣き出して、ジョンが話をしているが、一番知りたい語りかけが分からない。言葉の壁にぶつかって、英語力の無い自分を感じながら、寝た。
9月10日(日)
夜露でびしょびしょの寝袋をたたんで、同じ道を戻る。キャンプサイトまで戻ったら、お湯を沸かしてシリアスを食べて再び同じ道をロッククライミングに向かった。「あー藤中さんここで迷ったんじゃなあ。」と思うような林の中を抜けて、岩場を登る。景色のいいテラスにギアボックスがあり、そこで装備をそろえて反対側に降りる。
「あった。」
ロッククライミング場だ。キレットのある一番右側と、補助具の着いたルートを飛ばして、真ん中とその左側に3本のロープが設定してあった。自分は迷うことなく、イントラをめざしてこのコースに入っているアルベルトと組んでキレットに挑んだ。キレットは、腕の力で何とか登ったが、そのせいで最後のテラスに着いたときには腕がぱんぱんで親指と人差し指をくっつけることさえできなくなっていた。休憩にと取り出した写真のシャッターさえもきることができない。とっかかりの少ない最後の岩を前にして気力さえもなくなって降下した。
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休憩して臨んだ他の二つは楽勝だった。「タツ!足で登るんだ。」というジョンのアドバイスも何となく分かったような気がして、再びキレットのコースに挑んだが、もう自分の体重を一瞬でも支える力が腕に残っておらず、2度目のキレットは登ることができなかった。しかし、これで挫折感を感じなかったのは不思議だ。イントラ、ジョンの笑顔と、みんなの「グッドジョブ!」のせいだろう。たとえどんな状況でも、たとえどんな結果になろうとも、生徒に最後に挫折感を残してはいけない。成功体験にまで導いて終わらせてあげることがグループを任されたインストラクターの責任だろう。その日のゴールが同じになる我々のキャンプでは、とかく早く着いたものに優越感が生じ、遅くなったグループには劣等感が残りがちだが、イントラ同士が全ての子供たちに成功感覚を味わわせられるようにしなくてはいけない。この日はつくづくそう感じた。 |
20歳の女の子マラーニが、昨日から落ち込んでいる。思いもかけないハードなバックパッキングにカルチャーショックを受けているようだ。プエルトリコ出身でスペイン語が通じるので、英語と混ぜながらいろいろ話をして「僕も一人っきりで寂しいんだ。家に帰りたいのは同じだよ。」と言ったら、「どうもありがとう。タツ。」と返ってきた。昨日の夜、自分が一人でいるときに、アルベルトが「ヘイ!どうしたタツ。大丈夫か。」と話しかけてくれた。会話が続かなくても、自分が仲間の中で存在しているんだという感覚になれてとても嬉しかった。自分の下手な英語でも、マラーニにとっては励ましになったのだなと思えて何となく嬉しかった。マラーニにコースを頑張って続けてほしいなと心から思った。しかし、このときはすでに帰宅への意志が固まっていたようで、マラーニはロッククライミング上から下山後、ジョンと一緒にマウンテンセンターにもどって帰宅してしまった。「ま、帰りたいんだから仕方ないね。残念だけど、これからのグループのコースにとっては良かったかもしれないよ。」というビジネスライクなHIOBSの姿も見た。
小さな感傷も手伝って、誰も持とうとしないマラーニの食料バックを引き受けたら、今度は自分が前に進めなくなってしまった。遅れながら追いつきながら歩いていくと、ピックアップポイント(センターから車で離れた国立公園まで行き、本格的なバックパッキングが始まる。)で、リチャードが黙って私のバックから食料バックを引き抜いている。「リチャード・・・。」と言うと、「交代しようよ。」と笑いかけてきた。彼を日本に連れて帰りたくなるくらい嬉しかった。
その日は、歩くスピードの違いに半ばやけくそになりながらシェルバーントレイルのテントサイトに到着して終了となった。異常に体力が落ちているのは、時差ぼけのせいもあるのかもしれない。
9月11日(月)
朝のミーティングは、アシスタントインストラクター:トシのイニシアティブで雷の際の避難の仕方を習った。前の日は、真剣に野ぐその仕方を勉強し、計画的にアウトドアでの過ごし方のスキルを伝えていると言うことが分かる。内容については、自分たちが山口でやっていることとほとんど同じだったが、イントラの力量によって伝える内容が変わらないようにと言う配慮からか、イントラがマニュアルを片手に確認しながら進めている姿が印象的だった。今回新しく知ったことは、テントサイトはトレール(登山道)から少なくとも200フィート離れていることが必要だと言うこと、これは、人的損害を防ぐためで、キャンプの跡を知られては次々に人がそこをキャンプ場に使ってしまって自然の回復力が間に合わなくなってしまうからと言うことである。
| キャンプ跡に小枝や木の葉を撒くのも、今までは回復力を手助けするためだと思っていたが、人間に気付かれないようにするためだということが分かって「なるほどな。」と感心した。水たまりになっていても決して道を逸れてはいけない。10人以上のパーティーで山に入ってはいけない。ブッシュワークは横に広がって前の人の跡を踏まないようにする。これらのことも、自然回復力を損なう人的災害を極力少なくするための約束事である。トイレットペーパーは極力使わない。使った場合は必ず持ち帰る。これも徹底していた。私は、日本で、洗剤を使わないために大量のトイレットペーパーを使っていたし、快便グッズにはトイレットペーパーが必ず用意されてあったが、これからは使うにしても最小限に留めようと決めた。そういえばみかさんは指で食器を洗っていた。さすがである。 |
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今日のターゲットはシェルバーン・モリアン・マウンテンである。この日はナビゲーターを任された。地図は2万4千分の1。地図もコンパスも英語は必要ない。「任せてくれ。」である。このグループは役割分担がはっきりしていないので、自然にリーダーになる。昨日のがむしゃらな歩きから一転して、踏みしめるような歩きにする。女の子が「タツ。ありがとう。ゆっくっりでとても歩きやすいわ。」と言った。なんだ、異常な速さに面食らっていたのは自分だけじゃなかったんだ。それならそうと早く言ってほしかった。
日暮れまで3時間を残して稜線に出た。めざすピークが目の前である。なのにグループが動かない。女の子にピークに登ろうとする気がなく、男たちは決して無理強いをしない。「行こうよお。」とごねているのは、私とアルバートだけで、グループの意志はすでに露営に固まっていた。私とアルバートとリチャード(彼は一番紳士的な男性だった。)は、仕方なく動かなくなったグループを残して露営地を探しに行った。
この日はミーティングの後、昨日がむしゃらな歩きを誘発していた女性:キャシーがイントラ:ジョンとしみじみと話し始めた。トシから聞いたところによると、森が恐くて仕方なく、帰りたくてどうしようもなくなっているそうだ。昨日の歩きも実は怖さに耐えきれず、逃げるように歩いていたと言うことである。納得した。特殊な人たちのためのキャンプというイメージからの脱却を図る意識改革元年の今年に、これ以上プッシュして脱落者を増やしてはいけない。OBSの理念と経営との板挟みでジョンが苦しんでいるようだ。
私はというと、おしりを拭いた山ごけに杉の葉が混じっていて、悲痛な叫びを押し殺してシュラフに潜り込んだ。
9月12日(火)
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コース4日目。山から稜線を反対側に降りて、昼過ぎにワイルドリバーと言う川の縁に着いた。今日はサービスの日で、すなわち奉仕活動の日である。用意されていたスコップやつるはしや人の背ほどもあるノコギリを手にして、河原のトレールの修復に向かう。一抱え以上もある大木がトレールに倒れかかっており、これを根元から切り落として大木をトレールから取り除くことが私に課せられたサービスとなった。下手にノコギリを持つんじゃなかったという後悔がよぎるほど大木は歯が立たず、両腕は根元からぱんぱんで感覚が無くなった。リチャードの加勢で何とか大木は取り除かれて、後には言いようのない充実感と満足感が残った。
その日はファイナルに備えてブッシュワークの練習をしたが、足に触れる葉っぱに悲鳴を上げたり、およそブッシュワークとは言えないブッシュワークにほとんどがすごいストレスを感じていたようだ。今年度の指導者講習会ブッシュワークに連れて行ったら、間違いなくグループが崩壊する。そんな感じだった。私は、途中でムースの毛が残るベッドに寝ころんだり、久しぶりの腐葉土の感触を心ゆくまで楽しんだ。
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夜は湿っぽい低地にタープを張ったため、蚊とブヨの襲撃に合い寝るどころではなかったが、10年前に、日本に来たHIOBSのディレクター:アンディが、ゴアテックスの上下を着込んで寝ていたことを思いだして、3期の仲間から餞別に贈られた黄色いカッパを着込んで穏やかな眠りについた。
9月13日(水)
今日は、心待ちにしていたソロの日だ。必ず残る共同装備をリチャードとアルベルトと私で持ち分けてワイルドリバー沿いのトレールを足取りも軽く歩き出す。ソロのブリーフィングで、時計とランプ(ヘッドライトやフラッシュライト)とマガジンを引き上げられた。時計は、時間に縛られない時間を過ごすための配慮で、ランプは、暗闇をてらしてよけいな恐怖感をあおることのないようにする配慮だそうだ。
| ソロサイトは「ここから歩き回れるくらいのところから出ちゃいけないよ。遠出すると隣の人と出会っちゃうからね。」くらい離れた距離で、うんこも河原のソロ地から200フィート(約60m)離れなければいけないと言う事が徹底できる距離である。ジョンの配慮で、一番奥のムースの足跡だらけのサイトを手にした私は、素っ裸で河原のプールに入り、思う存分楽しんだ。じっとしなければいけないと言う感覚はそこにはない。大きな自然に抱かれて、どんどん一人の自分になっていくそんな時間である。久しぶりに自分のソロを楽しんだ。暮れゆく太陽と、代わりにてらし始めた月明かりに包まれて、穏やかな寂しさの中でシュラフに潜り込んだ。 |
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9月14日(木)
ムースメイプルの葉っぱを数枚手に持って森の中に入った後、すっかり目が覚めた。いいソロだった。残念ながらムースには出会えなかったが、10年ぶりに生徒としてソロを味わうことができて満足した。ソロのディブリーフィングでは、こみ上げる感情を抑えきれず慌ててサングラスで目を隠してしまったが、忘れていた感覚をよみがえらせてくれるソロはやっぱり好きだ。
さて、この日からファイナルツアーが始まる。ターゲットはバードフェイスの稜線である。ジョンがファイナルツアーのブリーフィングで、目的地と幾つかのコースと幾つかのオプションを示した。それを選択する形でファイナルが始まる。地図読みを習ったとはいえ、一朝一夕にはいかない難しさを考慮してのコースの選択である。我がグループは、思った通り最短距離のブッシュワークを避けて遠回りのトレールコースを選択した。ブッシュワークの練習が裏目に出た形だが、結果的にはこれが早かったのかもしれない。今日はナビゲーションがサイクルで代わったが、トレールが消えるごとに、「タツ。これでいいのか。」と聞いてくれるようになって、グループの中での自己有用感が感じられてとても嬉しい。
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一度道に迷ったが、夕刻前のいい時間に今日の目的地(イーグルグレッグ)まで到着した。いきなりアルベルトが、「タツ!サイトを探しに行こう!」と、林の中に入っていく。「おっ!なんか変な雰囲気だぞ。」とワクワクしながら「どうしたんだアルベルト。」と聞いたら、「あいつら動こうともしない。いつもおれたちがやらなきゃいけないんだ。」と、不満いっぱいである。アルベルトは今まで一番張り切って荷物も一番多く持っていたが、疲れもピークに達して爆発したようである。大人のコースも子供と同じだ。感情の変化の過程はそんなに変わらない。
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夜。普段4人のターフに5人詰まったので他の広いターフに移ろうとすると、アルベルトが「タツ!お前はファミリーなんだから行っちゃだめだ。一緒にいよう。」と言ってくれた。ありがたいような嬉しいような…そんな気持ちになった。
9月15日(金)
いつも黙って早起きしてお湯を沸かすリチャードと一緒に朝食を用意する。女の子は朝のお化粧に時間がかかる。それでもさすがファイナル、手際がいい。今までのことを思ったら、あっという間に出発した。朝から雨で、目の前のピークも雲の中にある。ほとんど相談することもなく下山が決まって、黙々と歩き始めた。ディップができるエメラルドプールに数人で立ち寄っただけで、とにかく急いでピックアップポイントまで歩いた。
| いつも黙って早起きしてお湯を沸かすリチャードと一緒に朝食を用意する。女の子は朝のお化粧に時間がかかる。それでもさすがファイナル、手際がいい。今までのことを思ったら、あっという間に出発した。朝から雨で、目の前のピークも雲の中にある。ほとんど相談することもなく下山が決まって、黙々と歩き始めた。ディップができるエメラルドプールに数人で立ち寄っただけで、とにかく急いでピックアップポイントまで歩いた。 昼過ぎには歓声と共に車道に出ることができて、早めのピックアップを待つことになった。冷たい雨も、みんなでタープの中にいれば暖かい。残りのチーズをみんなで分け合って食べた。 |
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数時間後に迎えの車が来て、雨の中マウンテンセンターまで帰った。今日はケビンで泊まるそうで、必要のない装備をセンターに置いてケビンに向けて出発した。バックパッキングも終わり、みんなの気持ちも下界に戻りつつある感じだ。
ケビンは、秋吉台家族旅行村のケビンと同じくらいしっかりした造りで、中二階にもマットがひいてあった。ここで何気なく隣の部屋に入ったら、一番若い女の子が着替えているところだった。慌てて「ごめん!」と言って飛び出したら、女の子の方が、「いや。こっちが悪いのよ。ごめんね。」と謝ってきた。そういえば、今までタープも男女の別はないし、ある程度の着替えなら平気でしていた。こういうところの感覚が日本と違うところで、時に面食らってしまう。
別世界のような心地よさのサウナに入った後、ラストナイトミーティングになった。次の日のマラソンは残っているが、このコースの感想を言い合い、修了証書をお互いに交換し合う。私は、ジェニファー(ほとんど何もしなかった女の子)に、「時々くれた笑い顔がとても嬉しく感じました。ありがとう。」と言って渡した。私には、いつも声をかけてくれたアルベルトが、「言葉もよく分からないのに、みんなを引っぱってくれて、お前はグレートだ。」と言ってくれた。アルベルトとはこのコースの間中本当によく話して、仲間意識が芽生えていただけに本当に嬉しかった。
9月16日(土)
昨日の雨が嘘のように空には星が瞬いている。5時起床で、眠い目をこすりながら離れたトイレへ向かう。…道に迷ってしまった… 慌てれば慌てるほど方向が分からなくなってしまう。ヘッドランプの光もここにきて力を失っていく。何度も道を引き返して30分以上もかかってケビンにたどり着くことができた。うんこはできなかった。最後にしてみんなに遅れをとり、迷惑をかけてしまった。加えて、便意も容赦なく襲ってきて気持ちはナーバスになってくる。
途中センターに寄り、やっと幸せな気分になった後、マラソンのスタートだ。2日目のロッククライミングで右膝をしたたかに打ってから痛みをだましながら歩いていたが、やっぱりちょっと気になる。いや、これは自分の逃げの気持ちだろう。自分に負けてはいけない。気持ちを振り絞って出発だ。コースは、センター裏のトレールから一般道に出て、丘の上を引き返してくる5マイル(7km弱)だ。体が重い、こんなに重かったかなあと思うくらい重い。しかし、心憎いほどの時間設定で、折り返してから体中に朝日を浴びた。なんか一人でヒロインになったような気がして、気持ちがものすごく前向きになっていくのが分かった。よし、後2マイルくらいだ。頑張るぞ!そしてゴール!先に入った仲間と健闘をたたえ合う。「グッドジョブ!」お互いの頑張りを認め合う最高の瞬間だ。
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それから借りていた備品のクリーンアップをみんなでやって、シャワーを浴びてきれいになった。最初であった頃のみんなになったが、最初であったときとは違う。住所を交換して、抱き合って言葉を交わして、ついに別れの時間になった。残るのはイントラ:ジョンとトシ、そして私だ。みんなが乗ったバンに手を振りながら8dayパッキングのコースが終わった。純粋に生徒として参加したのは講習会以来10年くらいぶりで、終わってみると、言葉の壁を越えられないつらさは始終あったにしても、心から楽しめたキャンプだった。ジョンそしてトシ。本当にありがとう。 |
そして…
バックパッキングが終わったその日は、心待ちにしていたトシ(橋本さん)とのお約束の日だ。トシの段取りを待って、2人でブルーパブに向かう。諸先輩方から聞き次いでいた憧れのブルーパブである。もうどきどきしながらカウンターに座った。BLACK
BEAR PORTER という一番こくのある黒ビールを注文して2人で乾杯した。今回のコースの話、お互いのキャンプの話で盛り上がる。懐かしい仲間に出会ったようなそんな不思議な気持ちになる。話すにつれ、トシのバイタリティとフロンティア精神に感動する。「夢追い人トシ」と言う藤中さんのネーミングがなるほどと感じられる。
今日は、トシの家でお世話になる。トシの家族に暖かくむかえられて、なんだか家に帰ったような気持ちになった。
9月17日(日)
トシの家で朝をむかえた。最初起きたとき自分がどこにいるのか分からなかったが、暖かいベッドで寝ていたことに気付いて、改めてトシの好意をありがたく感じた。
トシの家はビッグな家だ。一山もありそうな敷地に、柔道の道場まで備えた家を持ち、周りを椎茸ファームか囲んでいる。家のほとんども椎茸ファームも、自分が手を加えて作ったもので、これぞアメリカのフロンティア精神だなと感心する。家の周りには、カヌーやセーリングボートも用意されて、いつでも出かけられるようになっている。そこから、小学校の運動場を越えて隣の家に行くくらいの距離に、林をはさんで、柵に囲まれた羊の牧場があった。「飼育されてらっしゃるんですか。」と聞いたら、「いいえ。ペットですよ。」と言う答えが返ってきた。スケールがでかい。
| そこからもう少し離れた隣に、車が何台もとまっているガレージがあった。トシモータースだ。「ここから生活を始めたんですよ。」と言うトシの顔には、自信と誇りを感じることができる。そして、そのまた隣に、テニスコートがすっぽり入ってまだ前後がありそうなくらいのでっかいスチール製のビニールハウスがあった。「この温室を作ることが私の夢だったんです。」と言う。ここで、椎茸の温室栽培をするそうで、この温室も、自分でキットを組み立てたそうである。来年には、この温室の中に椎茸がセットされて、スプリンクラーなどの設備が完備された椎茸ホットファームが出来上がっているだろう。何度も言うが、トシのバイタリティとフロンティア精神には頭が下がる。夢を持ち、それを実現させる男だ。 |
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午前中は椎茸のファームをお手伝いしたり、ペットの羊(毎年一匹食うそうである。)の世話をしたりして過ごして、午後からはカヌーツーリングに出かけた。暖かい贅沢な時間を過ごして、帰りにビールやつまみなどの買い出しをして、スタッフハウスに戻った。 スタッフハウスには誰もおらず、一人寂しい夜だったが、トシとトシの家族との暖かい数日を貯金して暖かい気持ちで眠りにつくことができた。
9月18日(月)
今日は、担当のバーバラとこれからの予定を話し合う。予定を自分で決めていけるなんて、何とも主体的でよいではないか。しかし、朝のミーティングの後、バーバラの姿を探したがどこにもいない。誰に聞いても分からないと言う。ちょっと、スタッフ同士の横のつながりが不透明な気がしたが、やっぱり組織にはいろいろあるようである。
午後になってバーバラと会うことができた。いきなり明日から、大学生たちのダイナミーというコースに途中参加して、ホワイトウオーターカヌーを体験することになった。そして、木曜からトシを手伝って、コモングランドフェアに週末出向いて、来週は月曜日から木曜日までオフになった。金曜日に、ダイナミーのハイロープコースを見学して、それから以降の10月のプログラムは、10月になって決めることになった。例年行われている野外救急法のライセンス講習は、セメスターコースの2日間の野外ファーストエイド講習に換えて、短期間で行われるOBPコースにできるだけ参加することにする。
この日は、トシから借りた自転車を徹底的にオーバーホールすることにした。スコットから必要な工具を借りて、動かなくなったディレーラーのワイヤーから引き抜いて分解、前輪のシャフトのがたや、ペダルシャフトのがたもグリスアップして整備して、ブレーキの調節もした。油が充分差されたベアリングはいい音を立てる。早速、ベセルの町までサイクリングに行くことにした。
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午後3時出発なのでそんなにのんびりはできない。帰り道を失わないように、途中何度も振り返りながら景色を確認してペダルを踏み込む。ベセルの映画館まで50分かけて到着。トゥルーノースというアウトドアショップにまず入って、幾つか小物を買い込む。それから、藤中さんがパスポート提示を求められたというスーパーマーケットに入って、どきどきしながらビールとワインを買い込んだ。いざというときのために、パスポートのコピーや国際運転免許書も持参していったが、何のおとがめもなしにレジを通ってしまった。結局、藤中さんが若く見られて、私が老けてみられただけのような気がする。この年になったら、何となくそれが悔しいような気がする。とにかく、肩にずっしり食い込むほどの買い出しをして、夕方の5時にベセルの町を後にした。 |
スタッフハウスに戻って、今日一日の祝杯をあげる。明日からのダイナミーコースの期待に胸ふくらませてシュラフに潜り込んだ。
9月19日(火)
朝の8時にセンターにバックパックして行き、イントラの1人クリスティーナと一緒に移動のバンに乗り込む。ホワイトウオーターに必要なパドルやヘルメットやライフジャケットは前日にスコットに借りてある。カヌーツーリングは何度もしているが、本格的なホワイトウオーターカヌーは始めてで、期待に胸が躍る。
1時間近いドライブの後、エロールという町に着いた。河原に降り立ったら、水しぶきをあげて波立っている川を目のあたりにした。この川を下るのか。自分のカヌーでは、あっという間に岩にぶつかって船底を裂いてしまいそうだ。身震いがする。
9人の大学生と自己紹介をしあって、アレンという女の子とバディーを組むことになった。「アレン。」と言うと、「ハァーイ。」と返事をするくせに、「アレンだろう。」と聞くと、「アリスンよ。」とこだわる妙な女の子だった。
| まずは、パドリングの復習から始まって(私にとっては最初の講習だったが…)、実際に、急流を下り、岩を巻く水の流れを利用して岩の内側に入る「エディターン」を練習した。次は、沈したときの練習で、上流からずぶずぶ水の中に入って、「あれー。」というかけ声と共に急流に飛び込んで、自力でエディターンをする訓練だった。上半身裸でライフジャケットを身につけて飛び込んだら、息を止めるくらい水は冷たく、さらに片手に持ったパドルが自由を奪ってどんどん下流に流されていく、先に飛び込んだ大学生が、「ちくしょう。ちくしょう。」と叫びながら岸に泳ぎ着いた気持ちがよく分かる。とにかく、足を下流に向けて水面に浮かせて、岩場をやり過ごし、岩を巻く水に乗るべく死にものぐるいで水をかいた。「グッドジョブ!」みんなでお互いの健闘をたたえ合う。 |
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カヌーは濡れるのが当たり前と言った感じで、乾く間もなく次の練習に取りかかる。岩場の影から急流を横切って反対の岩場の影に移る「アップストリームフェリー」。岩場の影から船首を反転させて流れに乗る「ピールアウト」、どれも、バディー2人の呼吸が合わなければうまくいかない。言葉がうまく伝わらずにぎくしゃくしていた2人だが、習うより慣れろで、どんどん気持ちが近づいていく。やっぱり、アクションを伴うプログラムはいい。ちょっと下った岸から歩いて出発地点まで戻って昼食を取った後、再びカヌーに戻って、さあ、ホワイトウオーターに挑戦だ。岸を歩いてくだってルートを下見する。簡単そうに見えるコースでも、隠れ岩が潜んでいてコースを阻んでいたり、岩が連続して濁流になっていたり、見れば見るほど恐怖感をあおる。自分なりに安全なコースのイメージを描いていると、突然アレンが、「一番に行きましょう。とにかく真ん中の一番波が激しいところよ。」とはしゃぎだした。舵を担当するおじさんとしては仕方がない。「OK!それで行こう。」と、こぎ出した。カヌーの先端がざっくり水面下に入って水をかぶる。岩をぬって渦巻く波に突っ込む。「これよ。これがいいの。」と興奮するアレンを乗せて無事に穏やかな岸に着岸した。カヌーの中は半分水をかぶり、沈没寸前である。危ういところだった。が、これは楽しかった。「もう一度行くわよ。」と言うアレンに2つ返事で快諾して再び挑戦である。しかし、イントラのマイクが、「次に行くんだったら、前後逆でチャレンジしてね。」と言うから驚いた。アレンは、後ろの経験がない。後ろは舵取りの役がある。アレンが不安そうに舵のイメージトレーニングをしている。OK!GOだ。それも面白い。カメラやサングラス。貴重品一切を岸に置いて挑戦。We
did it! 岩に乗り上げたり、横倒しになって後ろ向きに進んだりしたが、無事渡りきった。グッドジョブだ。お互いの健闘をたたえ合った。
その日は、それから8マイルのカヌーツーリングをしてキャンプサイトを探す。8マイルと言えば12kmだ。しかし、時刻は午後4時。イントラはのんびり見ているだけで何もしない。「このままでいいのか。のんびりしすぎていないか。」と聞くと、「今日からメインフレーズに入ったから彼らに任せているんだ。」と言う答えが返ってきた。なるほど、フレーズなんだ。トレーニングフレーズ、メインフレーズ、ファイナルフレーズで構成されているという。ここからがイントラの我慢の見せ所である。
水門をポーテージして越えて、川を逆のぼってUMBAGOC
LAKE へ出た。湖面は、幻想的な夕暮れから、溶けるような真っ黒な夜の湖面へと姿を変える。お互いの所在を声を掛け合って確認しながら目的地に進む。地図を読もうにも、アレンにヘッドランプを貸して地図が読めない。おぼろげな地図の記憶で何となく自分の場所をイメージしていく。漕ぐこと6時間。夜の10時に湖面に浮かぶ
Big Island という島に着いた。遅い夕食を食べながら今日を振り返る。とにかくみんな疲れていて、言葉か少ない。長い1日だった。
9月20日(水)
Big Island を出発して湖を南下し、Sargent
Cove という湾に入った。ボート乗り場の広場には、すでにレスリーがリサプライの車を乗り入れて待っていてくれる。
新しい食料とストーブを手に入れた子供たちは、自分たちのザックにパッキングしていく。が、最後まで共同備品がなかなか無くならない。9:30分からリサプライが始まったが、ミーティングも含めて出発はpm1:15分となった。バックパッキングのブリーフィングとフルバリューコントラクトに随分時間をかけた。出発前のコースとオプションの説明も30分以上時間をかけて行った。子供たちの話を聞く態度が気になったが、マイクとクリスティーナはじっと我慢していたようだ。
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pm1:15分に出発し、トレールを通ってバックパッキングが始まった。子供たちの足取りは軽く、20分毎にバックを担いだままの休憩を取っている。じっくり1時間歩いて、バックを降ろしての休憩が始まったが、何と50分間の休憩で、だんだん様子が怪しくなってきた。出発しても、荷物の重い子供が不平を漏らすようになり、グループも離れだした。30分歩いて30分休憩。そして15分歩いて15分休憩。次に15分歩いた後にはもうグループは動かなくなっていた。地図読みを間違って、自分たちは随分先に進んでいるつもりらしい。が、マイクはここでもじっとがまんしていた。2日前にトレーニングフレーズ(カヌーのプログラム)が終わり、今はメインフレーズだから、子供に任すのだという。今日の遅れを取り戻すスキルがあるからこそできるのだろう。その日は5マイル(7〜8km)歩いてキャンプとなった。 |
そんな雰囲気の中での夜のミーティングは楽しみだったし、子供たちはその期待を裏切らなかった。カヌーとは違う先ほどまでのバックパッキングで、子供たちの地が爆発したようで、お世辞にも穏やかとは言えないミーティングとなった。子供たちの言葉にはスラングがとても多くて内容がよく分からなかったのが残念だったが、マイクとクリスティーナが、我慢している中で、話に頷いたり、たしなめたり、時には笑ったりして、何とかミーティングの形に持っていっているのが印象的だった。
その夜、「あれだけフレーズを貫けるなんて、2人は本当にプロだね。」と言ったら、「タツのやっているキャンプの子供たちも、こんな感じなのか。タツたちもフラストレーションを感じることがあるのか。」と聞いてきた。イントラのかかえる問題は、国が変わっても変わらないようだ。
9月21日(木)
子供たちに起こされて目が覚める。子供たちが口々に「おはよう。タツ!」と言ってくれる。このままみんなとバックパッキングを続けていきたい気持ちになったが、今日はそれができない。
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8:15分に2人と抱き合って別れて、子供たちとも一人一人と声をかけ合って別れる。どの子もとても素直な顔で嬉しかった。5時間かけて歩いてきた道を、1時間半で引き返す。途中から雨が降り始めて、雨の中のエリーとの再会になったが、心は軽かった。
久しぶりに戻ったスタッフハウスでかわいい女の子ジェシカに出会うが、彼女の膨大な洗濯を待っている内に、とうとう自分の洗濯ができずにトシがむかえに来てくれた。この間、国際電話を使ったインターネットで、30分かけても開けなかったメールがあった。だれだこいつは!と思ったが、後日ふたを開けてみると、バックパッキングで一緒だった紳士な男リチャードだった。思いっきり高性能なデジカメで取った画像を、そのまま転送してくれていたのだ。一枚に30分以上かかる画像を数枚まとめて送ってくれたからたまらない。日本の自宅の方で頑張って処理してくれたようだ。
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さあ!コモン・グランド・フェアー(みんなの大きなお祭り:農業祭)だ。トシの大きなトレーラーで機材を運び、確保されていた場所にブース(出店)を組み立てる。夜までかかって組み上げて、2人でビールとワインで前祝いをする。材木を組み込んだこの出店もトシのオリジナルで、家を見ても思ったが、トシのバイタリティには改めて感心した。夜の11時に家族が来て合流(私は起きれなかった)して、トシも暖かい寝袋をゲットしたようだ。
9月22日(金)
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今日は朝から大忙しだ。ブースの奥で私が椎茸をスライスし、奥さんが中で天ぷらの衣をつけ、トシが揚げて店に出す。勘定は子供のノリ君の仕事だ。椎茸はアメリカでも健康食品として脚光を浴びていて、なかなかの繁盛ぶりだ。わざわざブースの奥の私の仕事場にまで出向いてきてあれこれ質問してくる人もいる。たのむから話しかけないで…
午後3時までほとんど休憩がとれないくらい忙しかったが、昼をずいぶんすぎて食品関係のブースは落ち着きを取り戻し、私もトシから20ドルもらって遊びに出かけた。藤中さんの日記からもそのでかさとアメリカの文化の一端をのぞき見れる多様さを前知識とした持ってはいたが、期待を充分上回る規模と内容だった。 |
アメリカの農業文化の展示から、有機栽培の品評会。プロのテキ屋のコーナーと、工夫を凝らした素人のブース。お土産屋さんも軒を連ね、企業の展示会も祭りを盛り上げてくれる。OBSのブースも中央沿いに出ていた。インディアンの歴史を語るブースも面白かったし、フロンティア時代のアメリカの暮らしを再現するブースも面白かった。その中で私が一番興味を持って見ていたのが、3日かけてカヌーを1艇作る、手作りカヌーのブースだった。来年は、総合学習で子供たちと手作りカヌーを通して自然を学ぶという計画を温めている私にとって、これは何よりの経験だった。
夜は野外コンサートで盛り上がって、とにかく、祭りに参加する形でそこにいる自分の立場を心から楽しんだ。ありがとうトシ!
9月23日(土)
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土曜日は、一番人が集まる日らしい。トシの言うとおり、お客が並んで順番を待っている。時々話しかけられても答える余裕さえない。冷凍庫いっぱい持ってきた椎茸もどんどん減っていく。隣のピースープ(豆のスープ)も、作るのが追いつかないほどだ。
とうとう、午後になって椎茸が底をついてしまった。店を演出していた椎茸までもフライにして店じまいになった。
昨日目を付けていたブースに出向いて、心ゆくまで見学をする。お土産もちょっと買って、後は夜までアメリカンミュージックに耳を傾ける。贅沢な時間だ。
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その日の夜の内に、1日早くブースをたたんでテントに潜り込む。テントの中から、コンサートの音色に耳を傾けながら眠りについた。
9月24日(日)
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トシの運転するトレーラーでトシの家に帰り、一通り片づけを手伝った後、数日遅れの朝日新聞をむさぼるように読んだ。カラカスに在住していた頃の自分とだぶっておかしくなった。ほんの十数日の滞在でも、やっぱり日本が懐かしくなってしまうらしい。
久しぶりに本当にゆっくりした。ノリ君のチェロを聞きながら、うとうとしながら時間を過ごし、昼は奥さんが用意してくださったロブスターにかぶりつく。
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ベセルの町での買い物をするために心を残して少し早めにトシの家を後にする。コモン・グランド・フェアーにはぜったい行きべきだし、アメリカにどっぷり浸かるためにもトシのブースを手伝うことを心からお勧めする。贅沢な時間と暖かな家族のぬくもりでこころをふかふかにした後、スタッフハウスに戻った。明日から、センターでの昼食と夕食は食べられないと張り紙が出ていたそうなので、明日それをデビットに聞かなくちゃなあ。と思いながらシュラフに潜り込んだ。
9月25日(月)
気になっていた食事のことを、朝のミーティングの後デビットに聞いてみた。「オウ。タツは違うよ。いつでも何でも食べていいよ。」と言うことでとりあえず安心したが、食べてもいいという冷蔵室を覗いてみると、見事に何もない。コースが盛んなときは、もったいないくらいの残り物であふれているのだが、コースも今週からオフになって、調味料と牛乳を残して穀物は何もなくなってしまった。仕方がないので、箱に入っていたリンゴでポケットをいっぱいにし、スタッフハウスに戻った。
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「よし。明日はベセルまでサイクリングだ。死ぬほど買い出しをするぞ!」
と心に決めて、それまでの日々のまとめをすることにした。窓から見える景色は、穏やかな秋を演出してくれる。こんな日に部屋でくすぶっている事はできない。午後になったが、Sunday
River スキー場までサイクリングに行くことにする。去年ここを通っただろう藤中さんの後ろ姿を追いながら、上り坂をひたすらこぐ。左手には、冬になったら雪をかぶって、真っ白なゲレンデを見せてくれるだろう
Sunday River スキー場が静かに姿を見せている。よし、冬はここでクロカンをしよう。なんて妙な錯覚を楽しみながらサイクリングを楽しんだ。スタッフハウスには誰もいない。この日は飲んで寝た。
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9月26日(火)
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今日はベセルまでサイクリングだ。改めてサドルの位置を調節して、ますます自分のおしりになじんだマウンテンバイクのペダルを踏む。35分50秒。やった!満足サイクだ。町のあちこちを写真に納めながら、まず向かったところはお決まりのトゥルーノース。アウトドアグッズの店だ。性懲りもなく小物を買って、店を後にする。
今日の目的は買い出しだ。センターの冷蔵庫は当てにできない。自活できる食料がほしい。悲痛な決心をもってスーパーに入ったが、結局買ったのは、幾つかのカップヌードルと肩に食い込むほどのビールとワインとおつまみだった。そうだ。ゴープがあれば生きていけるのだ。 |
帰りに1人でブルーパブにより、遅い昼食と早い夕食を一緒にとって、スタッフハウスに戻った。
9月27日(水)
今日も朝から天気がいい。膝の調子も随分良くなってきたので、近くにハイキングに行くことにする。目的は2つ。バックパッキングのコースで見つけたラズベリーの林に立ち寄って、ラズベリーを腹一杯食べること。それと、見晴らしのいい岩場でのんびり過ごすことである。
バックにチェアとストーブと食料を詰め込んでスタッフハウスを出発した。先日作ったハイキングスティックも勝手がいい。膝への負担を極力抑えながらゆっくり歩いていく。1時間かけてラズベリーの林に着いた。前は赤かった実が、今は真っ黒に熟している。黒い宝石とはキャビアだっただろうか。しかし、この黒いラズベリーもそう命名したくなる。持ってきたポットに実を集めながら、その都度口に運ぶ。うまい!バックパッキングではゆっくり味わうこともできなかったが、この日は30分以上かけて味わった。
| トレールを高度を上げてギアボックスに着いた。しばらく歩き回って見晴らしのいい場所を探したが、ギアボックスの前の景色が一番良さそうである。お湯を沸かし、カップヌードルを食べながら、目の前に広がったサンデーリバースキー場にしばし見とれる。今日はこの景色を独り占めだ。朝の氷点下の冷え込みが嘘のようにぽかぽかしている。一枚一枚服を脱ぎながら、太陽の光を存分に浴びた。帰りは、スノーモービルトレールを少し遠回りして歩いた。ムースの足跡が縦横無尽についているところがあって、「よし。今度のオフは、ここでソロをしてムースに会うぞ。」と心に決めた。 |
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途中かわいい小屋があって、ピーとディビットがなにやら仕事をしている。小屋は、ピーが2年かけて住みながら造って、今はダッドが住んでいるのだという。ソーラパワーだぞ!!と、屋根についた太陽電池を自慢していた。
この3日。充分オフを楽しんだ。明日はロジスティックのスコットに張り付いて、救急キットの総チェクをしよう。
9月28日(木)
朝のミーティングには間に合わなかった。暖かい寝袋の中ではっと気がつくと、8:30分を回っていた。今朝は少し暖かい。スタッフハウスのドアの目盛りも7℃を指している。 スコットが見あたらないので、勝手に地下に降りてギアボックスのチェックを行う。夏用のバックパッキングの12人分のギアが、グループに必要な分だけ、それぞれの部屋に納められている。それを使うインストラクターが責任を持って管理し、使い終わったらまた補充して次に備えるというシステムだ。それぞれのギアには細かく値段が付いており、コース中に無くなったら、参加者がお金を出し合って補充するのだそうだ。実に合理的で理にかなっている。
− ギアについては、別に詳しく紹介します −
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ファーストエイドキットについて、ロッカーの前の点検表を書き写しているとスコットが現れた。一目でやりたいことを理解してくれた彼は、ファーストエイドキットのロッカーを開けて、「何でも聞いてくれ!」と言う。本当に気のいい男だ。気むずかしいスタッフも、そうでないスタッフも、彼の横を通るときには必ず何かしらちょっかいを出していく。バックパッキングに持っていく3つのバックのリストをもらって、それぞれのバックの中身を調べていった。 |
山口県のファーストエイドキットのバックは1つで、それもぱんぱんにふくらんで、さらに今年から担架も加わってますます量を増やしているが、OBSのそれは更に充実している。今年からセルラーも加わって、緊急時の連絡のカバーも完璧だ。OBSのコースは、いったん出たら最後1週間近くは本部と連絡を取らない。インストラクターがグループを責任管理していく。そのために、野外ファーストエイドの資格も取らないといけないし、そのスキルを身につけて初めて、インストラクターと呼べるのである。
ここメーン州には、毒をもつヘビやクモは皆無だそうで、唯一恐ろしいのがハチによるショックだ。インストラクターは、いつもアレルギー対策の注射を首にぶら下げていて、それにも随時対応できるようにしていた。驚いたことに、ポイズンリムーバーはなかった。ここメーン州では必要度が少ないのかも知れない。コース中何度かメンバーがハチに刺されたが、インストラクターはだまって様子を見ているだけで、水洗いもしなかった。 生水に入れるアイダインという薬(結局、ヨウ素液をアルコールで薄めたものらしい)と、アレルギー対策の注射をサンプルにもらおうとごねてみたが、注射は、税関でドラッグと疑われては困るということで残念ながら手に入れられなかった。成分表をもらってきたので、帰国したら行きつけのお医者さんで同じものを手に入れようと思う。
− キットの内容については、別に詳しく紹介します −
この日は天気が良く、午後からどんどん冷え込んできたので、来週のキャンプに備えて外で寝てみることにする。HIOBSの寝袋は、それだけで小さなバックがいっぱいになってしまうほどでかいもので、できれば、持参した耐寒用のはずのひとまわり小さな寝袋を使いたかったのである。圧縮しても2倍近く体積が違う。
午後10:00にすでに外気温はマイナス2℃になった。わくわくしながらスタッフハウスのベランダに出てマットを広げる。星に手が届きそうなくらいきれいな夜空だ。
9月29日(金)
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寝袋の中は、上下の暖か下着と、厚めのフリースと、ウールのソックスである。深夜になって温度計はマイナス5℃を指す。さすが耐寒用の寝袋で、寝袋の中は寒さを感じない。しかし、外気に触れている鼻と口が痛い。3重の締め込みをしっかり締めても、出ているここだけはどうしようもない。結局、頭まで寝袋に潜り込んで寝た。気がついたら朝日が射し込んできた。外気温はマイナス6℃。これなら、来週のキャンプは大丈夫だ。ムースを見に行こう。
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今日は久しぶりのプログラムで、ダイナミーの生徒に混じってハイロープコースを研修する。時間が良ければ自分も体験できることになっている。
わくわくしながら朝のミーティングに参加し、図書室とキッチンを往復しながら、ロジスティックの仕事を冷やかしながら、レスリーの仕事を手伝ったり、コーヒーを何杯もお代わりしながら・・・結局、ダイナミーの生徒は来なかった!大学生はなっちょらん!本部にも何の連絡も入らずについにプログラムはキャンセルになった。どこかで停滞しているに間違いない。これが山口県なら慌てて連絡に走るところだが、センターには何の動きもない。それだけインストラクターを信頼しているのだろう。しかし、宙に浮いた私の時間はどうなるのだ。腹が立ったので、スキー場までトレーニングをかねて買い出しに行って、ビールを山ほど買い込んで今飲んでいる。
明日は、トレィシーとロックランドまでデートだ。服を脱ぎ捨てたままの私の部屋に彼女がさっきやってきて、明日の出発の9:00を知らせてくれた。
ロックランドは、ここのOBSの本部があるところだ。シーカヤックツーリングがキャンセルになって、行くことを諦めていたので、セメスターコースのピックアップに同行できることになって本当に嬉しい。とにかくここでは、「あれも。これも。」と言っておかないと何も実現しない。The
squeaky wheel gets the greese. である。
9月30日(土)
約束の9時にセンターに行ったら、トレイシーはまだ来ていなかった。ゆっくり朝食を取って、テラスでコーヒーを飲んでいると、トレーシーがやってきた。彼女の英語は分かりやすい。ゆっくり丁寧に話してくれているから、安心して耳を向けることができる。一昨年、昨年と、手嶋さんと藤中さんのインストラクターだったそうで、車の中でその話で盛り上がる。あー、なるほど。だから、日本人と話すコツを知っているんだと、妙に納得したりした。ロックランドベースまで3時間。調子に乗って話しまくって、充実した英会話教室だった。彼女もやはり山口県のキャンプに随分興味を持っていて、まずは「OBSの団体なのか。」と言うことを聞かれた。「そうではない。OBSの教育手法を使った、独自の教育団体で、スタッフはみんなボランティアなんだ。」と言うことを、じっくり時間をかけて話した。伝わった・・・のではないかと思う。印象に残った会話で、「トレーシーは、子供たち(とは言っても、高校生以上)対象のキャンプと、大人のキャンプはどっちが好き?」と聞いたら、「大人は何かをつかもうとして前向きだから一緒にいてこっちも楽しい。だから、今は大人のキャンプが好き。」「でも、子供たちには、たくさんのDiscovery
があるから、ファンタスティックだわ。」と言うのがあった。私も今年、チャレンジキャンプと講習会を両方関わって、まさしくその通りだなと共感した。
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ロックランドベースは、海風の香るハーバーに位置していた。60日間のセメスターコースの大学生をピックアップして、フリーポートへ向かう。海の向こうのハリケーンアイランドに思いを向けながら、その地を後にした。
フリーポートで、L.L.ビーンに立ち寄る。ここは、アウトドアマンの天国である。欲しいなあ。欲しかったなあ。と思うものが所狭しと並んでいる。手嶋さんへのお土産のエアーマットを買ったら、品質無期限保証と書いてある。穴があいたら新品に換えてくれるのだそうだ。これがすごい。日本に持って帰って、日本のL.L.ビーンに出したら、同じように換えてくれるのかどうかはちょっと分からなかった。
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レジで、「よろしかったら連絡先を教えてもらえますか。」と言われたので、「日本なんですが。」と言ったら、「まあ。それじゃあ。ダイレクトメールを送れないわねえ。」と言って笑っていた。
この日は腹一杯ホットドックを食べた。トッピングを死ぬほどのせても2ドルくらいで食べられるので、気に入っていっぱい食べた。帰りはケンタッキーによってチキンを買い込んだ。マウンテンセンターの食事は、パスタとパンと野菜で、どうしても動物性タンパク質が欲しくなる。買い出しの度にビーフジャーキーを買って、もしかしたら日本にいるときよりも肉類を食べているのかも知れない。
朝9時過ぎにセンターを出発して、再びセンターに戻ったのは夜の9時だった。ドライブは8時間。トレイシーは、疲れてあくびを抑えきれないのに、「私も楽しかったわ。」と言ってくれる。本当にいい子だ。今日は何となくほかほかした気持ちになれた。
10月1日(日)
今日から10月。日数は微妙だが、気持ちの上では折り返し地点だ。アメリカHIOBS研修も後半に入った。10月のプログラムは10月になって決めるので、期待と不安が入り交じる。
とにかく今日もセンターに行ったら、日曜日だというのに随分騒々しい。何事かとスタッフに聞いたら、今日は22日間の大学生のダイナミーコースの終了日なのだそうだ。よーしとばかりに、「何か手伝わせてくれ!」とレジスティックのブライアントに聞いたら、ほとんどのグループが昨日の内に帰ってきて、昨日の内にクリーンアップも済ませていて今日はほとんど仕事がないのだそうだ。ちょっと拍子抜けしていたら、ホワイトウオーターカヌーで一緒だったグループが集まっていた。「ヘイ。タツ!」と、声がかかる。嬉しくて、しばらく子供たちと話し合う。でも、相変わらず、彼らの英語は良く聞き取れない。 この日は天気がいいので、にぎやかなセンターを後にして、センター付近の施設のマップ作りに写真を撮りに歩くことにする。とは言っても、トレールを全部歩こうとすると随分の距離だ。ザックにストーブとカップラーメンを詰めてスタッフハウスを出た。
まずはロープコースに向かった。じっくり見てみると、今まで気がつかなかったトレールのあちこちに、ローロープコースが設定されている。
− コースの全容は、別に紹介します。 −
林の中に踏み入れると、ウオールもでんと腰を据えている。それぞれが、お互いを干渉し合わない位置にあって、もし複数のグループがロープコースに取り組んでも、影響がほとんどないように設定されていた。
林の中に点在しているケビンを回っていったら、すでに12時。出発からゆうに2時間たってしまった。本当に広い敷地だ。キャンプサイトも何カ所も用意されていて、遠くのキャンプサイトに行くのには、バックパックなら数時間かかるかも知れない。数日のOBPコース(リーダーシップ講習会や、各種団体の要請に応える1日から数日のコース)なら、ロープやロックも含めて、実に充実したコースが組めるに違いない。
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自分たちのバックパッキングコースの最終日に使ったケビンの前で昼食を取りながら、深まる秋の気配をじっくり味わった。その日センターに帰ったのは2時過ぎである。エリーの仕事を手伝って、スタッフハウスに戻る。
この日は、思い切って隣の部屋に引っ越しをした。2段ベッドも良かったが、隣の部屋の家具調ベッドも魅力だったので、隣の住人がいなくなる時をねらっていたのだ。
その晩は、ホワイトウオーターカヌーで知り合ったインストラクターのマイクとクリスティーナに誘われて、深夜ベセルの町に映画に出かけた。途中で買い出しをしたお菓子を食べながら、隠し持っていったビールやスコッチをみんなが飲みながら、大笑いしながら映画を見た。
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10月2日(月)
今日は、早朝にエリーとスキーを買いに行くことになっている。レンタルスキーのお店で、昨年のモデルチェンジのスキーセットが安値で売りに出されているのだそうだ。7時50分の約束なので、7時15分に起きることにする。これがいけなかった。またねてしまった。耳元で声がするのでぼんやり目を開けてみたら、でっかいエリーが立っているではないか。慌てて飛び起きて大急ぎで支度をする。エリーはそんな私を見て大笑いをしている。本当に気さくで人のいいおばさんだ。
エリーの車に乗って着いてみると、まだ開店していないハウスに支配人が待っていて、ここで初めて、エリーの顔でわざわざセール前に開けて待っていてくれたことを知る。ありがたくて頭が下がった。支配人の人もすごく親切でいろいろ相談にのってくれて、気持ちよく家族分のクロスカントリースキーを揃えることができた。子供の分はとにかく、自分たちの分はさすがにものを見ると欲が出て、良いのを良いのを選んでしまったが、それでも日本のセールの半額以下で揃えることができた。エリーに感謝である。
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車いっぱいの荷物を積んでスタッフハウスに戻り、改めてセンターに行って、10月の予定を立てるためにバーバラの部屋をノックする。はっきりした英語で話してくれるバーバラと、10月の予定を話し合った。今週は、スタッフのオフの週でプログラムがないという。フリーになった。むずむずと個人ムースツアーの計画がうずき出す。10月の2週目は、前半バックパッキングにオブザーバーとして参加して、後半ファーストエイドの講習会に参加することになった。3週目は、カヌーがやりたいとわめいていた私のために仕組んでくれていた、セメスターコースの5泊6日のホワイトウオーターカヌーコースに、これもオブザーバーとして参加する予定になった。あくまで予定で、また後日それぞれのプログラムのディレクターと話し合うことになる。 |
よし!今週が自由になった。さっそく、個人ツアーの計画を立てる。目的は2つ。ムースに会うことと、英語を話さなくていい時間を持つことだ。結局、このどちらの目的も、もろくも崩れ去る事になるが、とにかくこの日は、メーン州のトレッキングコースの地図を見ながら、わくわくしながら計画を立てた。
10月3日(火)
この辺の地理に詳しいダンというスタッフに相談にのってもらいながら、車で30分送ってもらってそこから山の稜線に入って、避難小屋を泊まり歩く2泊3日のコースが出来上がった。全行程17マイル(約25km)で、非常にのんびりしたコースだが、計画段階では満足できるコースとなった。
午前中はスコットに頼んで、必要な装備を揃える。救急セットはマイ救急セットを持っていくことにしたが、何かのために携帯電話を借りる。食料も、食糧倉庫から好きなだけ持ち出して用意する。ゴープはもちろん大量に揃えた。
| 午後からは、足りない食料を買いにベセルの町に繰り出す。実は足りない食料はないはずなのだが、これは個人ツアーである。肉が食いたい!山頂でウイスキーが飲みたい!と言う誘惑が、往復1時間半のサイクリングに私を突き動かした。これが実に重くなった。ゆっくりするんだからと、クレージーチェアーを詰め込んだり、そう言えばあれもいるわいと荷物を増やしていったら、この前のバックパッキングさながらの重さになってしまった。まあ、1人分とは言え、何から何まで自分で持っていくのだから仕方がない。明日が楽しみで、前祝いをしながら眠りについた。 |
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10月4日(水)
今までの晴天が嘘のようにどんよりした天気だ。スコットも、「タツ!週末は雪が降るぞ。」と、にやにやしながら言っている。いんや。ムースに会うには、少し湿った方がいいかかも知れない。自分を奮い立たせて出発する。
送ってくれたブライアントにお礼を言って、独りになる。1人ではなく、独りである。そんな気分だ。いきなり寂しくなった。ソロが始まった気分だ。そう言えば、大学の頃から、行くとすれば今の女房と一緒に歩いていて、本当に独りで歩いたことはそれ以来ないような気がする。寂しいはずだ。寂しいという気持ちが新鮮で何となく心地よい。
今日は3マイル(約4.5km)の登りだ。10時に歩き出して、昼前に着いてしまってはもったいないので、心がけてゆっくり歩くようにする。色が変わったメープルの木が眩しいくらいだ。後1マイルを残して休憩を取る。「あー。」と、空を見上げるとねずみ色にどよんできた。雨の風もふき降りてきた。これは雨が降るぞ!と急ぎ始めたとたん、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。あの黄色いカッパをいそいそと着込んで、何となく変に嬉しくなって急坂を登り始めた。
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雨の中、シェルターに着いたら、何と居心地の良さそうなシェルーターではないか。ドアはないものの、中2階はベッドのようになっていて、その気になれば、10人以上は泊まることができる。今日はここで独りなんだぁ。と、感慨に耽っていると、アベックがやってきた。いちゃいちゃしながらお昼ごはんを食べて出ていった。まずいな。もしかしたら、今日他に泊まる人がいるかも知れないなぁ。と思っていると、あれよあれよという間に、7人が集まった。私を入れて8人である。寂しい沼のシェルターは急ににぎやかになり、華やかな女性の笑い声と、骨太い男性の笑い声でいっぱいになった。「タツ!お前もやれ!」と、ウイスキーが回ってくる。これでは、ムースが出るはずもない。 |
楽しい夜だったが、目的がいきなり2つともキャンセルになってしまって、正直少しがっかりしてしまった。
OBSのことを話したら、「オウ。友だちにそこで働いているやつがいるぞ。」とかえってきた。やっぱり、山の仲間はどこかでつながっている。女性は、「タツ。OBSのみんなは親切か。」と聞いてくる。「親切だよ。」と答えたら、「良かった。山の連中は、自然が好きで人間が嫌いな人が多いから、心配だったんだ。」と言ってくれる。嬉しくなってしまった。この女性の名前だけはメモに書き残した。
10月5日(木)
雨はやんでいる。雲も昨日より薄くなって、青空が隙間から見えている。昨日の女性が、「タツはムースに会いたいんだから、みんながムースになりましょう。」と呼びかけてくれて、ノリのいい仲間がムースのまねをして写真のバックをにぎわせてくれた。
独りにはなれなかったが、英語から離れられなかったが、何となくほかほかした気持ちになってその日を出発できた。
今日は5マイル(約7.5km)。ほとんど稜線のアップダウンだ。早く着いても時間をもてあますだけなので、踏みしめるようにのんびり歩いていく。稜線から見る景色は、上空を雲が覆ってはいるけれども、吸い込まれそうな壮大な景色だ。充分楽しんで、昼食にする。昼も贅沢にストーブを出して、買い出ししてきたライスを炊く。うまい!うますぎる!余るほどのゴープ。そして、好きなときに食べられる米。何と贅沢なひとときだろう。寂しさというスパイスも効いて、感覚が敏感になっていく。
| いきなり独りぼっちだという実感が襲ってきた。涙が出てくる。あふれるように出てくる。帰りたくなった。何でこんなところにいるのかと思った。大声で叫んで涙を散らした。 雲が上がってきた。現実に戻される。のんびり歩いていたので、今日の行程はまだ半分以上残っている。急いで支度を整えて、稜線を歩き始めた。結構アップダウンが激しくて、思ったより行程を稼げない。膝も痛み出して歩みは更に遅くなったが、4時前に目的のシェルターに着いた。今日は誰もいない。女の子が1人来たが、私に挨拶をすると、さっさと林の中にテントを張ってしまった。女の子1人のバックパッカーで、私を見ての判断だと思うが、てきぱきとした的確な判断で感心してしまった。ほっといておこう。 |
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かい出したベーコンと、スキットルに詰めたウォッカを用意して夜を迎える。夜は来た。雨の夜で、入り口越しに見る外は漆黒の闇夜になっている。霧も上がってきて、ロウソクの火にてらされて更に雰囲気を盛り上げる。FMをつけたが、似合わないような気がしてスイッチを切る。ロウソクの焦げる音が聞こえる。やっと独りになったが、何となく、もう独りは充分だ。正面に誰かが座っているような気がしてウオッカをあおった。
10月6日(金)
雨の音で目が覚めた。零下3℃。冷たい雨だ。まだ雪にならないのか。
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暖かい朝食をゆっくり食べて、9時前に出発した。今日は、下りの8マイル(約12k)だ。3時に林道の出口で迎えが待ってるはずだから楽勝のはずだ。が、甘すぎた。雨で稜線は濡れて、靴が踏ん張れない。滑るのだ。昨日から痛み出した膝が、不安定な下りに悲鳴を上げる。ロッククライミングさながらの岩場もあって、更にスピードを弱める。稜線の岩場は風が吹き上げて風上に顔を向けられない。12時を過ぎても、行程の半分以上残っている。とにかく急いだ。何度もこけながら、やっとの思いで数分前にピックアップ地点に着くことができた。この日は、カメラを出す余裕も、バックを降ろして昼食を食べる余裕もなかった。疲れた。 |
ぐったりしてセンターに戻った。むかえてくれるみんなの顔が嬉しかった。ソロあけのような人恋しさでひとしきりセンターで話をした後、スタッフハウスに戻ってシャワーを浴びた。
10月7日(土)
来週のバックパッキングが都合でキャンセルになって、今日からトシの家でゆっくりすることになった。夕方まで、部屋で今までたまりにたまった記録をまとめながら過ごした。昨日までのバックパッキングがこたえて、外を歩こうという気にもならない。バックパッキングが終わって顔を出した太陽を半分恨みながら寝袋を干したり、洗濯をしたりした。 夜はトシの家で家族的な夕食をご馳走になった。やっぱり人がいる食事はいい。美味しさも倍増する。トシと寝るまで話をして、暖かいベッドでじっくり寝た。
10月8日(日)
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日記に書くのが申し訳ないほど贅沢な時間を過ごした。昼前まで寝て、昼はトシの奥様お勧めのビデオを見て過ごしてトシの帰りを待った。トシは今年から狩猟のライセンスを取るつもりだ。10歳の息子ノリ君と一緒にライセンス講習に出かけている。
この日はめでたく2人ともライセンスを取得できて、祝杯をあげた。アメリカでは、10歳から狩猟のライセンスをとれるらしく、すでにトシの息子のノリ君は、ライセンス保持者になってしまった。ノリ君は法的にも、ライフルが撃てるのだ。ここら辺の感覚がすごい。次女のミキちゃんもハイスクールから帰ってきてこの日はにぎやかな食卓となった。
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10月9日(月)
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朝早く起きて、トシとミキちゃんとノリ君と4人で、隣町のラッギトマウンテンというアウトドアショップへ買い物へ出かけた。今日はバーゲンの日なのだそうだ。先日のL.Lビーンズの時もそうだったが、ずらっと並んだ品物を見ていると財布の紐もゆるんでくる。とにかくこの日は、自作するテントの材料を買って店を出た。トシは、高校生のミキちゃんが、自分の山の良きパートナーになりそうだと喜んでいる。正直羨ましくなった。 |
センターに戻ってキッチンにはいるとバーバラがいた。明日はこれからの予定の最終の打ち合わせだ。スタッフハウスに戻ると、今日は誰もいない。先日は独りになりたくてキャンプに出たのに、望まなく独りになると本当に寂しくなる。送られてきたメールをむさぼるようにチェックして、寂しさを紛らわせた。
バーバラに確認したが、藤中さんが入った10月のバックパッキングのコースは、定員不足でキャンセルになったそうだ。9月のシーカヤックのコースも定員割れでキャンセルになったと言うことだし、OBAコースをやめてイメージアップを図っているHIOBSの今が我慢の時のような気がする。
10月10日(火)
日本は体育の日だなあ。なんて思いながら目が覚めた。窓の外にちらちらと白いものが降っている。「もしかして!」と思って外に出てみると、雪が降っていた。下界に降る初雪だ。気温はマイナス3℃。近くの山も、うっすらと雪化粧が始まっている。センターに行くと、スコットたちが、「タツ!雪のにおいがするぞ。帰国までにスキーができるかも知れないぞ。」と、喜んでいる。雪のにおいというのが何とも素敵で気持ちが良かった。
今日はマウンテンセンターがにぎわっている。昨日行われるはずだった、「エンド・オブ・ミーティング」が開催されるらしい。ロックランドのベースからも、主要のメンバーが集まっていて、何となく物々しい感じだ。キッチンでは、ジョーとトレイシーが昼食を作っている。9月の末から禁止されていた昼食が今日は食べられるらしい。バーバラに、「タツもミーティングに参加したらいいよ。今までのコースの反省と、これからのメニューを組み立てるから参考になるよ。」と言ってくれるので、恐る恐る会議の席に参加した。バーバラの司会で会議が始まった。春からのスタッフミーティングトレーニングの振り返りから始まって、それぞれのベースでの営業成績の報告も行われた。コースでの、参加生徒の数と、ドロップアウトした生徒の比率、カウンセリングを行った生徒の比率、ドロップするモチベーションを持った生徒の比率などが、具体的な数字で示される。営業成績を上げなければいけないOBSでは、お金という問題が常に絡んできて、デッドラインと言う言い方で越えなければいけないノルマを表現していた。昨年に比べて、申し込む生徒数が減っているらしく、秋のシーカヤックのコースも、藤中さんが参加した10月のバックパッキングのコースも人数不足でキャンセルになっている。時には白熱しながら、会議は昼間まで続いた。
12時を待って、昼食休憩に入った。もうすでに私の頭は英語ではち切れんばかりだ。途中から理解するキャパシティもなくなっている。これ以上参加したら、どうにかなってしまいそうだったので、バーバラに「おれ。ベセルに自転車で行って来るよ。」と告げた。決断は早かった。
やることが決まれば後は早い。雪の中、手袋とスキー帽子をかぶってペダルを踏み込む。ベセルでの目的は3つ。ハガキを出すことと、お土産のメープルシロップを買って郵送することと、久しぶりに豪勢な食事にありつくことだった。
郵便局でハガキを出した後、「メープルシロップを郵送できる?」と聞いたら、しばらく奥で話した後、「できるけど、食品だから船便で45日かかるよ。」と言う答えが返ってきた。今から45日というと11月の終わりだ。落ち着いた頃に受け取るのも良かろうと、さっそく行動を起こした。隣のスーパーで、調べていた箱に収まるほどのメープルシロップを買い込む。片手では持ち上げきれないくらいのメープルシロップを買い込んだ。スーパーの正面の雑貨屋で荷造り用のテープと、念のためのビニール袋を買って、再び郵便局に駆け込んだ。郵便局で箱を買って、買ってきたメープルシロップを一つずつ袋にくるんで箱詰めした。他のお客からじろじろ見られるのも構わずに詰め込んで出来上がった。税関申告用の書類を書かされたのは以外だったが、これは分からない。これも分からないと言ってごねたら、適当に向こうで書いてくれて無事納めることができた。いろいろやってみるものである。さあ。次の目的の食事だ。目を付けていたチャイニーズレストランがオープンの旗を掲げたままドアに鍵をかけてクローズになっている。
食欲の秋である。食べたいという欲求は更に高くなる。もう、あのブルーパブしかない。独りで行くのは遺憾だが、思いっきりステーキを食べてやる。前のめりになって自転車をこいで、あっという間に到着した。
中に入ったとたん、「ヘイ!タツ!」と呼ぶ声がする。見ると、スタッフハウスで顔なじみのマークとクリスティーナがビールを飲んでいるではないか。思いがけず楽しい食事となった。クリスティーナお勧めの料理を食べながら、改めて今日のミーティングのこととOBAコースが昨年からなくなった理由について聞いてみる。やっぱり、「問題の子供たちだけを扱う特別なキャンプだという一般的な周りの目を変えるためだ。」と言う答えが返ってきた。 |
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今日のミーティングを振り返っても、一企業としてのOBS団体の存続と言うテーマは生き残りをかけた大切な問題らしい。当たり前のこととはいえ、厳しい現実を目のあたりにして、プロとしての視点と考えなければいけないテーマの違いを思い知らされた気がする。教育者としての我々にできることは何だろうか。ここら辺から、山口県のキャンプとOBSのキャンプの違いが生まれてくるような気がした。
10月11日(水)
昨日ロジスティックのエリーと話して、もしかしたら今日クレセントパークスクールへ訪問できるかも知れない。しかし、エリーがいつ来るかも分からない。どきどきわくわくしながら朝をむかえる。
センターへ食事をしに行って、セメスターコースのコースディレクター:バーバラ(自分の担当のバーバラとは違うバーバラ)と、明日からのWFA(野外救急法)について話を聞く。来週のホワイトウオーターカヌー終了時の迎えも決まったようで安心である。(自分のプログラムが行き当たりばったりというか、それぞれのコースディレクターと個人的に話を煮詰めなくてはいけなかったりするのでちょっと不安…)エリーはまだセンターに来ていないようなので、スタッフハウスに戻って資料の整理や記録の整理を始める。
どやどやっと賑やかな声が聞こえてきたかと思えば、エリーが部屋をノックした。「タツ!今から学校に行けるわよ。すぐ支度して。」と言うのである。くつろいだ格好から慌ててこの日のために持ってきたスラックスに履き替える。ネクタイを締めようかどうか迷ったが、鏡に映る自分の姿があまりにくすぐったかったので、ネクタイは締めないで出かけることにした。
クラスの子供たちへのお土産の扇子を手にして学校に向かう。素敵な出会いへの期待に胸が膨らむ。クレセントパークスクールは、ベセルの町にある公立の小学校だ。幼稚園も併設してある。駐車場について感じたが、実にきれいで設備の整った学校だ。中に入ってまた驚いた。実にきれいで設備も充実している。訪問者も、訪問者名簿に記録をすれば、ほとんどの設備は自由に使えるらしい。開かれた学校だ。イベント的な参観日も計画にあるようだが、ここではいつでもどの学級でも、自由に参観できるシステムになっている。エリーと幾つかの学級に入って参観したが、誰も別に驚くようでもなく、にこやかに迎えてくれて開放的な雰囲気だった。
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エリーの息子リックの3年生のクラスに入ったら、程なくして先生が世界地図を開いた。いきなりの展開で私が紹介される。久しぶりに教壇に立った。教壇と言ってもどこが正面か分からないようなオープンなスペースである。ホワイトボードも前に立つと、懐かしい教室のにおいがする。やっぱり私は教員だ。18人の子供たちの目がかわいくて仕方がない。子供たちを相手にすると、たどたどしい私の英語も気にならない。去年の藤中さんとの思い出を語ってくれて、話が盛り上がる。教えられた日本語を必死で想い出そうとする姿が本当にかわいかった。子供たちの名前を当て字の漢字で書いたり、配った扇子について話をしたり、あっという間に時間は過ぎて最後にみんなで記念撮影をした。 |
ここでは、公立の小学校で20人学級が行われているようだ。先生も、副担任がいていつでもT.T.ができるようになっている。スクールカウンセラーも常駐しており、遊具を揃えたカウンセリングルームもある。悩みのある子供は、メッセージカードに名前を書いて予約を取るシステムになっている。今の日本に必要なシステムがすでに存在しているといった感じだった。と言うことは、日本が現在抱えている問題をアメリカはすでに抱えて解決に向かっていると言うことなのかも知れない。しかし、ここは地方だから問題はそれほど深刻化していない。最近みた雑誌の表紙に、女の子が机に座ってこちらを見ている写真があって、「これから誰がこの子供たちを教えていけばいいの?」と言うフレーズが載っていた。後数年したら、ヴェテランの教師がリタイアして、条件の悪いストレスフルな教職に就く人がいなくなって、教師の絶対数が足りなくなってしまうと言う記事だった。現在の教育の抱える問題はどの世界も共通している。そんな気がした。
素敵な出会いの余韻を残して夜を迎えた。明日のWFA(野外救急法)に備えて早く寝ないといけないが(寝坊するわけにはいかない)、記録の整理がたまっている。とにかく、まずビールを空けよう。
10月12日(木)
枕を叩かれるような感じで2階で足音がする。時計を見たらまだ7時だ。うるさいなあと思いながらまた寝袋に潜り込む。後で知ったが、この足音は9日間続くWFR(野外救急講習会)の最初の会議の足音だった。(なぜスタッフハウスで早朝にやるんだ!)7時半の目覚ましで起きて、自分のWFA(野外救急法)の準備をしてセンターに向かった。 みんなが集まっているので「しまった!」と思ったが、肝心のインストラクターがまだ来ていないようなので安心して朝食を食べることができた。
程なくしてセンターの図書室で講義が始まった。この講習会は、72日のコース:セメスターコースのプログラムの一つである。私はコースの生徒の大学生に混ざる形で参加している。
− ここに来て思ったが、我々の研修が秋になるのなら、この72日のセメスター
コースが期間的にも良いのではないだろうか。海に山にカヌーに救急法に、それ
こそ目白押しでプログラムが盛りだくさんである。
−
セメスターコースの彼ら彼女らとは、以前ロックランドのピックアップで出会っていて、何人か記憶に残る子供たち(大学生)がいた。ダイナミーコースの子供たちとは何となく違って、スラングも少なくなり、会話も聞き取りやすい。「タツ!タツ!」と、良く呼びかけてくれる。彼らにとってはおじさんであるが、タツと呼ばれると年齢の隔たりを感じなくなってしまうから不思議だ。
WFAは、覚悟していたとおり英語との戦いだった。携帯の電子辞書を片手に頑張ってみても、とうてい理解に追いつかない。昨年までの9日間と違って2日で終わるという希望が今日を支えている。今日は、意識がないが呼吸と脈はしっかりしているという設定で、いろいろな処置の仕方を学んだ。やっている内容は、ほとんど山口県で習った救急法の応用のようだったが、とにかく頭を動かさない、固定すると言うことに気を配っている点で相違点を感じた。そして、意識があろうとなかろうと、体中をスクイーズ(握りしめて)して故障個所を確認する。15分ごとに、ソープノートに呼吸数、脈拍、反応の様子を書き込む。そう言えば、ERというアメリカの救急センターのテレビ映画を見ていたら、担ぎ込まれる患者は必ず頭部を大がかりに固定されていた。脊髄の損傷に最新の注意をはらっているようだ。講義も、「安易に呼びかけて振り向かせたとたん脊髄が傷ついてしまうこともあるから、呼びかける前に頭部を両手で支えておくことが大切だよ。」と言った具合である。
| 三角巾の結び方などは実にいい加減である。ほどくことは考えていないし、とにかく強く結べればいいという考え方だ。日赤で習った結び方をやってみたらみんなが驚いていた。 講義の次に実習、そしてまた講義と実習。この繰り返しで1日が終わった。はっきりいって、山を歩くより疲れた。夕食もみんなと食べるのだが、英語だらけなのでもううんざりという感じだ。気持ちに無理はすまいと早々にスタッフハウスに引き上げた。 |
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いつもはほとんど人がいないスタッフハウスが、今日は救急法の講習の泊まりがけの生徒であふれている。何人も部屋をのぞき込んで話をしていく。今日は、英語から離れることはできないみたいだ・・・。
10月13日(金)
朝から、みんなが口々に「今日は金曜日だぞ!」と言っている。(やっぱり週末がたのしみなのだなあ。)なんて思っていると、どうもそうではないらしい。金曜日に加えて、今日は13日なのだ。森の中からジェイソンが出てくるかも知れない。これも一つの文化の違いだろうか。ちょっと大げさな慌てぶりがおかしかった。
さて、私はWFAの2日目だ。顔なじみになったセメスターコースの生徒たちと講義を受ける。今日は、「熱中症」に加えて、「ハイポサーミア(低体温症)」と「凍傷」等が中心だった。山口県では、気候がら熱中症が主だったように思うが、ここメーンでは、特にハイポサーミアに講義のメインがおかれている。良く聞いてみると、この現象は冬場だけではないようで、時にはちょっと冷え込んだ夏場や川のそばのビバークでも起こり得るものなのだそうだ。「天は我を見放したか!」で話題を呼んだ日本映画「八甲田山」の悲劇は、実にこのハイポサーミアだった。体温の急激な低下で、脳の活動と運動機能が通常のレベルを守れなくなり、最後には死に瀕してしまうと言う現象だ。軽度のハイポサーミアの自覚と対処、予防と注意などを学んでいった。実は2日後に、このメンバーの女の子が1人軽度のハイポサーミアになってしまい、この日の講義が実に役に立ったのである。
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午後からは、野外に出て、いくつものパターンで救急レスキューの実習と実技試験を行い、最後は部屋に戻ってペーパーテストになった。野外の実技試験は何とかなったが、ペーパーテストははっきり言ってお手上げだった。4分の1もできない内に時間切れになり、答え合わせになった。それでも、2年間有効のWFAの資格証をもらうことができた。
日本で取った日赤の救急法の講習に比べて、マニュアルよりも臨機応変な対応を重視している点で興味深かったし、後遺症を最低限に抑えるという意味での頭部の保護と、血液からの第2次感染を防ぐ処置の仕方がちがってとても面白かった。中でも、ハチを含めたアレルギーに対応する注射器は、何らかの形で山口県でも使えるようにするべきだとその必要性を強く感じた。
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10月14日(土)
今日は、セメスターコースの生徒たちと、明日からのカヌーコースの打ち合わせである。とはいっても、私は聞いてにこにこと頷くだけなのであるが…。ホワイトウオーターカヌーの準備で、冬場のスキューバダイビングで使うようなドライスーツが支給された。やっぱりあの冷たい川で泳ぐことになるのか。覚悟を決めなければいけないみたいだ。午前中は、食料の計画を立てたり(72日間のセメスターコースでは、途中から食糧計画はすべて生徒たちに任される。重くなるも軽くなるも、質素になるも豪華になるも、生徒たちのチョイス次第というわけだ。「俺はあれが食いたい。」「私はあれでないといやよ。」白熱していた。
| 午後からは、食料も含めたパッキングの準備だ。私は、自分で使うテントの作成に勤しむことにした。最初の8dayバックパッキングの時に、インストラクターのジョンが使っていたのから目を付けていたのだが、中央にストックを立てて使う4角錐型のタープテントをこちらのインストラクターは持ち歩いていて、軽量で設営も簡単で、ビバークには実に使い勝手が良さそうである。カタログを見ると、150ドル(1万8千円位)で、ちょっと高い。買おうかどうしようか迷っていると、2ヶ月ほどネパールをトレッキングするというダンが、自分が作ったというそれを見せてくれた。と言うわけで、機会があれば自分も作ろうと、山屋でテントの材料を買い求めていたのである。 |
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ロジステックのエリーにミシンの使い方を教えてもらい、午後から地下に潜り込んだ。使い慣れないミシンに格闘しながら、午後7時にテントは完成した。とりあえず、思ったようなものができた。明日からのカヌーツーリングは、これを試してみよう。
10月15日(日)
朝の7時半に駐車場に集合して、カヌーのトレーラーを引っぱったバンに乗り込んだ。北に向かって3時間半。おしりがそろそろ痛くなってきた頃に、めざす湖「ムースヘッドレイク」に着いた。対岸がかすんで見えるくらいのでっかい湖だ。
トルトゥージャという薄焼きパンで腹ごしらえをした後、湖に繰り出した。ところが、沖は白波が立っているほどの荒れ模様の天候だ。これでもやるのか。もし転覆したらどうするんだ。と思いながらいると、7艇の2人乗りカヌーを4艇と3艇の2つに分け、ロープでそれそれを結びだした。なるほど、これなら多少の波でも転覆は避けられる。さすがに、こういうスキルには感心する。
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しかし、波は予想以上に高く、艇と艇の隙間から吹き上げる水しぶきで全身がずぶぬれになる。島影に隠れるようにコースを変えて波間を木の葉のように漂う。何とか島影に到達して、今日はここが宿泊地になった。明日は、風がやまないと引き返してロードを進むそうだ。風が止みますようにと願っていると、女の子が1人寒さで全身のふるえが止まらなくなってテントに入ったという。先日習った「ハイポサーミア(低体温症)」だ。気温は夕方で零下。ずぶぬれで着ているものが湿りっぱなしだと無理はない。 |
タイムリーに習ったハイポサーミアの処置を実体験で実習して生徒たちは落ち着いている。これが目的で今日の強行があったのではないかと思われるくらいだ。私は、ゴアテックスの上下と暖か下着のおかげで寒さは感じても割と快適である。
どんどん気温が下がる中、簡単なナイトミーティングを行って就寝となった。始めて寝るテント(ビバークタープ)は、この気温ではちょっと寒かった。センターから借りた腹が立つくらいでかい冬用の寝袋に潜り込んで、穏やかな眠りについた。
10月16日(月)
朝から、2人の生徒が朝食作りに励んでいる。このコースは、生徒のその日の役割分担が実にはっきりと分かれていて、その日の自分の仕事以外はまず手を出さない。しかし、任された仕事は、プライドと責任を持って取り組んでいる。11人の仕事の分担はこうだ。キャプテン(1人)、コック(2人)、スカラビー(2人)これは、鍋磨きも含めた食事の後の片付け係である。ナビゲーション(2人)、ヘルス(1人)、エンターテート(1人)、リーブ・ノー・トレース(1人)、ジャーナル(1人)となっている。この中で面白いのが、エンターテートとリーブ・ノー・トレースだろう。エンターテートは、グループの盛り上げ役という役割で、ゲームやリーディングを担当する。自分で作った詩の朗読などをして拍手を浴びている生徒もいた。リーブ・ノー・トレース(これを今回自分の研修の最大テーマにしようとたくらんでいるのだが)は、ローインパクトキャンプのお目付係である。テント撤収後の土地の整地や、こぼれたスナック菓子の回収、とにかく、自分たちがそこにいたという後を残さなくすることが仕事である。始めて出会った役割であるが、なんだかすごい意義を感じて感動してしまった。
昨日の風が嘘のように止んで、湖面は穏やかな顔を見せている。今日は湖面を9マイル(約14km)のカヌーツーリングだ。最年少の男の子:アダムと組んで湖面に繰り出す。太陽が照るたびに暖かくなってTシャツになりながら、快調なパドリングをする。湖岸に立ち寄り昼食を取って、午後のツーリングも快調である。昨日のロスも回復して、ほとんど予定通りに湖の北岸のキャンプ場に着いた。カヌーのツーリングでは、ほとんど湖岸のキャンプ場を使用する。トイレもあって快適だ。
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この日の夜は、ダッチオーブンを使ったブレッド作りを見た。イースト菌を発酵させるところから始まって、なかなか本格的だ。バックパッキングでダッチオーブンを運ぶのはまず無理だろうから、荷物のキャパシティの多いカヌーツーリングならではのデモンストレーションのオプションだろう。たき火を使ったパン作りを興味深く見せてもらったが、このためだけにあのくそ重たいダッチオーブンを運ぶのかと思うと、出発前にパンを焼いて、それを持っていった方が軽いのではないかと私は思ってしまった。
風はない静かな夜で星があふれんばかりに瞬いている。気温は昨夜よりも寒いようだ。ハイポサーミアの彼女:ハナウは、今日は素敵な笑顔を振りまいていた。
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10月17日(火)
今日のパートナーはジュリアという女の子だ。彼女は今日のリーダーですごく張り切っている。湖の奥までカヌーで詰めて、そこから約3マイルのポーテージになった。カヌーを裏返し、中心に肩を乗せてよいしょと持ち上げるわけだが、バランスさえとれれば以外に簡単にもてる。しかし、重い。
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夕刻近くまでかかって別の湖に到着して、カヌーを降ろす場所を探しているときにそれは起こった。岩場に踏み出した私の右足がバランスを失って、膝が反対に曲がるごとく伸びてしまったのだ。ザックをかかえたままで更に膝に荷重がかかり、ごきっという音と共に見事に岩場に倒れ込んでしまった。吐き気を伴う痛みで、「いっちゃったかなあ。」と思ったが、痛み止めの薬を飲んだら何とか歩けそうだ。自分の不注意で何とも情けないことになった。セメスターの生徒たちは、「タツはもう荷物を持っちゃだめだぞ。」と言って、私のザックまで運んでくれる。申し訳なくて心がいっぱいになる。なんとも優しい子供たちだ。 |
明日のカヌーができるかどうか心配だが、そのためにここまで来ているのだから何とか頑張りたい。とことん膝を休めながらその日を過ごし、明日に備えて早く寝袋に潜り込んだ。今日も星がきれいだ。寒い。
10月18日(水)
薬で痛みは抑えているが、膝はふくれてこわばったように重い。ホワイトウオーターカヌーは、カヌーの底に両膝をつけて踏ん張らないといけないので、恐る恐る膝を折ってみる。OK!できる。多少の痛みはあるものの、これならば大丈夫だ。
朝食を待ちながら、生徒たちが出発に備えてカッパを着だした。そらがどんより曇ってきている。さすが、72日間の折り返しを迎えているセメスターコースの生徒たちだ。ここら辺のところはインストラクターの指示を必要としない。そのうち雨も落ちてきた。判断も的確だ。
雨の中のパドリングとなった。今日はツーリングではなく、湖で明日のホワイトウオーターカヌーに備えて、パドリングのいろいろな技術の講習だ。パドルを押し出す「Pry」
反対に引き込む「Drow」、パドルを持ち替えずに反対側を漕ぐ「Reverse」そして、それらを応用して、2人で息を合わす360度ターン。目の前に岩が迫ってきた想定で行う、左右への平行移動。どれも、明日のホワイトウオーターカヌーに必要で身につけて置かなくてはいけない技術だ。真剣で臨場感のある講習が午前中行われ、自然と緊張感が増す。午後は、水門をポーテージしてリバーに入り、流れのあるところで、流れを真横に横切る「up
streem ferry」岩を巻く渦を利用して岩陰(eddy)に入る「eddy
turn」eddyから主流に乗る「peel out」等を習った。セメスターコースでのホワイトウオーターカヌーでも習ったものも多かったが、水量も多く、ホワイトウオーターの激しさを表す等級が一つ二つレベルを上げている今回のホワイトウオーターカヌーでは、緊張感のレベルも違う。
| ひととおり講習が終わって、流れを少しくだってホワイトウオーターカヌーの出発地点まで移動した。小さなたきを含んだ濁流地点をポーテージして、河原にカヌーを引き上げて明日の出発に備える。生徒たちはそこから荷物を背負って3マイル川沿いを歩いて下ってキャンプ地に向かう。膝もだいぶん良くなって、自分で自分の荷物を背負えるようになって安心した。生徒たちはダッチオーブンの入ったばかでかいザックに苦労している。 |
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雨の中、小一時間かかって下流のキャンプ場に到着した。芝生の上にテントを張って、キャンプ場横の川の様子を見に行く。1mちかい段差を含むホワイトウオーターがそこにあって、インストラクターのモーリンが「明日はここは無理ねえ。手前からポーテージしましょう。」と言っている。濁流にびびっていた私は、なんとなくホッとするが、実は次の日にここをもトライすることになる。
雨の中、働き者のピーが、その日のコック:シェーンと一緒に夕食を作っている。他の者はと言うと、インストラクターも含めて幾つかのテントに潜り込んで、カードやゲームをして遊んでいる。こういうところのあっさりとしすぎるほどの、合理的というか役割分担が徹底しているというか、割り切ったやり方は何となく自分には合わず、手伝いはしなかったが(フレーズが替わったから食事関係などは手伝ってはいけないと言われた。)キッチンターフに入って彼らと話をしながら過ごした。
この日は私にとってセメスターのコースでの最後のナイトミーティングとなったが、ミーティングの流れが面白い。何となく食事後にみんなで集まって、スカラビー(鍋磨き係)の仕事を待ってまた何となく始まる。その日のエンターテーナー(演出係)が工夫した出し物を披露して拍手をもらう。次は、その日のリーダーに、みんなでお礼を言い一言ずつ賞賛の言葉を贈る。次が「ネックレスの贈呈」である。ネックレスは、陶器のペンダントヘッドを麻ひもで結んであるもので、班に4つくらいあるそうだ。前の日にもらった人から、その日に「セルフリライアンス(自己自信)」をもって動いたと思う人に贈呈される。自分の1日が認められる瞬間なので緊張の一瞬である。私も2度ほどもらったが、もらうときより贈るときの方が難しい。しかし、面白いミーティングだ。インストラクターは、明日のプランの説明の時以外はあまり口を挟まない。さすが、30日以上の日数の重さを感じる。
雨はまだまだ強く、作ったテントは内側にも水滴が流れるようになった。テントもこの天気が限界みたいだ。テントにふれそうな寝袋の足をビニール袋に突っ込んで眠りについた。明日は晴れますように・・・
10月19日(木)
ホワイトウオーターカヌーの日がやってきた。空は雨が止んで、所々青空も顔を見せている。お気に入りのホットチョコレートを飲みながら、今日のカヌーへの期待に胸を躍らす。クエストキャンプでカヌーのプログラムができないものだろうか。山口県にもいい川はたくさんあるし、カヌーを使っての海での島渡りも楽しいかも知れない。カヌーも20艇単位なら安く輸入でそうだ。夢はどんどん膨らんでいく。
カヌーのスペシャリティ:ジャネットがやってきた。彼女は、ボーイフレンドが作ってくれたという手作りのFRP製のカヤックの形のカヌーを操る。格好良すぎる。
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昨日移動した3マイルを空荷で歩いて上り、カヌーの出発地点までやってきた。ドライスーツを着込んで、ヘルメットとライフジャケットを着けて、これで準備OKだ。なんの準備だろう。水に落ちてもいい準備なのだ。気候は山口県で言うと雪の降っていない1月と言う感じだろうか。広島まで足を伸ばしたら、スキー場は満員という感じだ。しかし!ホワイトウオーターは甘くはなかった。最初は、川に落ちたときの急流からの脱出の仕方であった。やっぱり泳がなくてはいけないのか。ドライスーツを身につけているとはいえ、水は差すように冷たいだろう。 |
パドルを持って順番を待つ。水に足を入れると、「あー。」と声を出さずにはいられない。「えい」とばかりに飛び込んで、濁流に突っ込む。濁流を乗り切るまでは足を川下に向けて水面上に出しておく。足がもし岩や何かに挟まって止まってしまったら、体が流れの中に沈んでしまって息をすることができなくなってしまうそうだ。段差を越え、水にもまれながら流れが弱くなったところでエディに向かってじたばたする。I
did it.何とかやりきった。さすがドライスーツである。一滴の水も浸透していない。水に直接浸った顔と手足は刺すように痛いが、我慢できないほどではない。体が暖かいから、そのうち血が回って暖かくなるだろう。実際、その後のカヌーで私自身も水面下に沈してしまい、このレスキューのスキルの大切さを実感した。
今日のパートナーは、1番力のありそうな(一番態度のでかい)サムである。彼がスタン(後ろの座席)で、私がバウ(前の座席)になった。川は下る毎に流れを速くして、緊張感を盛り上げる。最初はいちいちカヌーから下りて説明のもとにコースを確認した。ジャネットの模範と我らのインストラクターの模範の後に、生徒たちが下っていく。エディターンに失敗して沈してしまうカヌーも出るが、最初のレスキューの講習が効いていて、誰も慌てず対処していく。瀬を越える毎に説明や指示が少なくなる。習ったスキルを思いだして、パートナーとコースの確認をして、自分たちで隠れ岩や段差を越える方法を話し合ってトライするようになっていく。こういうところの、手を引くタイミングが絶妙だ。そして、必ずほめる。充実感と達成感が体中を駆けめぐる。
昨日モーリンが「ここは無理ねえ。」と言っていた最後の段差も全員が沈することなく無事に越えて、夕刻の5時。たっぷり1日楽しんでホワイトウオーターカヌーが終了となった。
9日間一緒に過ごした彼らと別れを惜しみながら、帰りの車に乗り込んだ。そのままマウンテンセンターに向かうものとばかり思っていたが、その日は遅くなって、近くにある別のベースに身を寄せることになった。ヒサシさん、トオルさん、タカさん、トシさんのことを楽しそうに語ってくれるトムと出会って、その日はトムが5年間泊まっているそこのスタッフハウスで寝袋に潜り込んだ。夢にまで見ていたムースとの出会いも車の中からではあるが果たし、それも2度も!幸せな気持ちで眠りについた。
10月20日(金)
またやってしまった。アラームで目が覚めず、約束の時間になってもまだ熟睡してしまった。ジャネットの迎えで目を覚まして、トムへの挨拶もそこそこに着の身着のままで車に乗り込む。だって寒いんだもの。どうしても寝袋に潜り込んでしまう。小さなアラームの音なんか聞こえるわけがない。と、気持ちを切り替える。
またムースに出会った。道路際は、人間が草を刈っているので、新芽が出やすくてそれをムースは好んで食べるのだそうだ。なんと、これで3回もムースに出会ってしまった。願わくば、カヌーかバックパッキングの時に出会いたかったが、これ以上わがままは言うまい。写真も撮れたし、言うことはない。
3時間のロングドライブの後、やっとベースに着いた。膝の痛みも何とか軽くなって、弱気になっていたトシとのハイキングが楽しみになる。トシは、アパラチア山脈の縦走をもくろんでいて、アパラチア山脈の縦走路「アパラチアントレール」を攻め始めている。
| 今回は、私も加わって3泊4日のロングハイキングで縦走距離を伸ばすつもりだったが、私の故障でよけいな負担をトシにかけてしまうことになる。それもあって、キャンセルも考えたのだが、鉄人トシは、すべての共同物品をトシがもつという荒技を提案して、このハイキングを決行することになった。申し訳ないという気持ちが拭いきれないが、アパラチア山脈の魅力には勝てず、ここはトシの体力に甘えることにした。しかし、すごい男である。HIOBSのスタッフたちも、「トシは若くはないが、強すぎる。」と言う評価をしている。その日はトシの家に泊めてもらって、次の日の朝早く出発することになった。ブルーパブでしこたまビールを飲んで前祝いをした。明日からのハイキングへの期待に胸が躍る。 |
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10月21日(土)
天気は最高だ。その分冷え込んではいるが、太陽が顔を出したらシャツ1枚でも歩けるくらいになるだろう。4日後に予定している登山道の出口にトシのトラックをとめて、奥さんに出発地点まで搬送してもらう。その間車で往復3時間。この距離を縦走するのだ。故障した足を引きずった今の私にできるのだろうか。正直言って不安がよぎった。しかし、鉄人トシと一緒だ。安心と一緒に歩くようなものだ。とにかく、やっていないと分からない。何とかなるだろう。気持ちを奮い立たせてトレールを出発した。
正午。4号線 Sandy River 沿いから、Appalachian
National Scenic Trail に足を踏み入れる。ここで標高1600フィート(約487m:めんどくさいのでこれからはm表示にする)。ここから2マイル(約3km:これからはkm表示)先のシェルターで第一泊目を予定していたが、あっという間にシェルターに到着してしまったので、更に3km先の
Eddy Pondまで足を伸ばすことにする
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。原本さんに教えてもらったテーピングを思い出しながら右膝をがちがちに固めて、膝も何となく安定して踏ん張りも効く。これなら行けそうだ。原本さんに感謝しながら歩を進めていく。Eddy
Pond 731m に着いても今日の時間がまだ残っている。行けるところまで行くことにする。更に傾斜は急になるが、一歩一歩確実に標高を稼いでいく。午後4時半。ついに
Saddle Back Mtn 1255m に到着した。すでにツリーラインを越え、岩肌がむき出しの縦走路になっている。真横から吹き上げてくる風が痛い。顔が向けられない。爆弾を抱えた膝の不安から、今のうちに行っておけるだけ行っておこうとする、私のはやる気持ちをトシに止められて、この日は山頂付近の小さな鞍部でビバークすることになった。 |
トシの判断は正しかった。荷物を降ろした私の体は疲労に包まれ、膝は思い出したようにずきずき痛み出す。荷物を一手に引き受けているトシはなおさらだろう。山での無理は死につながる。動きを止める勇気をトシから教わった。
風の吹き込まない場所を見つけて、杉の小枝を敷き詰める。ふかふかのベッドのようなグランドにテントを張って、夕食を食べる。日本人2人の夕食だ。米だ。2人でしこたま食べて、寝袋に潜り込む。まだ7:30分だが、暖かい寝袋はすぐに私を夢の世界に連れて行ってくれた。
10月22日(日)
| 時折吹き荒れる突風に目を覚まされながら朝をむかえた。気温は氷点下5度。体感気温はどれくらいなのだろう。ボトルの水もかちこちに凍っている。小さなポンド(雨のたまり水)に水を汲みに行くが、表面の氷を割って水を汲まなくてはいけない始末だ。風は相変わらず強く、手袋無しで行ってしまった指先は激痛を伴って恐怖さえ感じさせる。逃げるようにビバーク場所まで戻って、ホットティーをすすって暖まった。すごい場所だ。冬山の経験のほとんどない私にとって、この体感する寒さは始めての経験である。「厳冬期のマウントワシントンはこんなものではないですよ。」と、トシは笑っている。この笑顔に安心する。 |
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am8:00に出発して、岩肌を4.5km。朝日を右半身に、冷たい風を左半身に浴びながら、The
Horn 1231m , Saddle Back Junior 1114m , Poplar
Ridge 958m と、アップダウンを重ねる。目に映る景色は、私のボキャブラリーでは表現できないくらい美しい。山頂付近の霧氷も素晴らしい。日陰の土はまだかちこちに凍っていて、でっかい霜柱をふみながら歩く。このハイキングに来て良かった。
夕刻に Orbeton Stream 469mを越えるが、今日はもう少し歩くことにする。そこからの長い4kmを頑張って歩いて、林道沿いの小さな広場でテントを張ることになった。私が用意していた白米と、トシが用意していたみそ汁で、この日はこれまでのハイキングの中で最高の食事となった。あの味は忘れられないだろう。スキットルのウイスキーを2人で酌み交わして、体の中からほかほかになって寝袋に潜り込んだ。星かきれいだ。明日も冷え込みそうだ。ボトルは寝袋に入れて眠ろう。
10月23日(月)
テントや、外に出していたザックが真っ白になっている。凍ってしまった。「冷え込むと言うことは、天気が良くなると言うことですよ。」と、トシは喜んでいる。空は雲一つない青空が広がっている。
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今日は、行程的には一番長い15kmのアップダウンだ。膝も調子がいい。出発だ。HIOBSから借りた2万4千分の1の地図がどうもおかしい。登山道路でないところを歩いているような気がする。製図年月日を見たら、1974年となっていた。25年以上も前の地図だ。アパラチアントレールは、更新を重ねて新しくなっていた。HIOBSもそろそろ新しい地図を買わなくてはいけないだろう。
Lone Mtn 993m , Spalding Mtn 1222m を越えて、膝にこたえる急な傾斜を下って、Caribou
Valley 677m に着いた。そこから更に足を伸ばして、小さなポンド
838m に着いた。今日のテントサイトはキャンプ場である。
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テントを張るプラットホームも常設してあって、トイレもある。ファイヤーサークルもあった。早速、薪を集めてたき火の用意をする。この日のトシの「いいハイキングですね。歩いて休むだけで他には何もしていない。山に入ったら、無理に説明する必要はないんですよね。」と言う言葉が忘れられない。
10月24日(火)
| トシとのハイキングの最終日だ。朝が何となく暖かくて雲行きが怪しい。振り返ってみると、2日前の
Saddle Back Mtn は雲をかぶっている。雪が降っているようだ。心持ち歩を早めて
South Crocker Mtn 1234m , Crocker Mountain
1289m を越えて、そこからひたすら下りで、16号線に向かう。足にさくさくくる落ち葉の感触が心地よい。一歩一歩ハイキングの終わりが近づく実感がわいてくる。いいコースの終わりにはいつも思うが、踏み出す1歩が何となくもったいない。 |
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16号線に出てしまった。このハイキングはトシ無しでは計画もなかったし実現もできなかったハイキングだった。言葉にならない感謝の気持ちを胸一杯にかかえて、ブルーパブで最後の祝杯をあげる。トシ!橋本さん。本当にありがとうございました。
10月25日(水)
不思議と昨日までのハイキングの疲れはない。身体が動くことに慣れてしまったのではないだろうか。
先々週から延び延びになっていたOBSグッズが今日届くことになっている。今まで何度も裏切られていただけに、今日本当に来るのかなあと不安になりながらマウンテンセンターに向かう。そうそう、今日行われるはずだったハイロープコースは、セメスターコースの日程の変更で昨日行われたそうで、またしてもチャンスを逃してしまった。事務のジョディに聞くと、「タツ。ごめんね。明日届くわ。」と言うことだった。帰国まで数日を残してまだ品物を手にしていない。残った日々が忙しくなりそうだ。
さて、今日のメインイベントは、ボストンでの荷物の航空便手配である。トシの配達の機会を利用して、と言うか、トシに配達を都合してもらってボストンまで車で連れて行ってもらう。片道3時間のロングドライブである。最後の最後までトシにお世話になる。感謝の気持ちを言葉で言い表せないくらいだ。
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ボストンで無事に荷物の航空便手配を済ませて(できればOBSグッズもこれで送りたかった。)、トシの配達を手伝って、お勧めの中華料理店に連れて行ってもらった。トシとはこれでお別れである。思えば、最初のバックパッキングから始まって、たくさんの優しさをトシからもらった。藤中さんは、「最後の頼みの綱。」だと表現していたが、私にとっては、最初から最後まで、アメリカで甘えられる唯一の存在だった。次に行く人にも、ぜひトシとの関係を構築していって欲しいし、トシと行く「コモン・グランド・フェアー」と「アパラチアントレールの縦走」は、OBSのプログラム以外に必ず加えるべきだと思う。経験できることは貪欲に経験しておくべきだ。
本当にありがとう。鉄人「トシ」。
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10月26日(木)
来てるかなぁ。どうかなぁ。と思っていたOSBグッズが、やっと届いていた。諸先輩方のお土産と同じになって、それほど目新しい物はないが、何よりHIOBSのマウンテンセンターで直接買ったと言うところが素晴らしい。(と、自分で思っている。)昨日から用意していた段ボール箱に詰めて、明日郵便局へ行く段取りをスコットとした。これで何とか荷造りも間に合った。
| 今まで借りていたさまざまな物品をクリーンアップし、返せる物をセンターに返していく。布団代わりにしていた寝袋と厚手のフリースジャケットは最後の日まで借りておこう。センターからスタッフハウスへの道を、知らず知らず踏みしめるように歩いている。最初の日に歩いた道をトレースして林の中に入ったりしている。去りがたい思いで気持ちがいっぱいになっているのかも知れない。スタッフハウスも自分の家のように思えてきているから不思議だ。 |
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10月27日(金)
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朝、スコットと郵便局に行って荷物を郵送した。昨日の段階でまだ届いていないグッズもあり、どっちにしてもそれが後日郵送で送られてくるために、今回の荷物も郵送にする。45日かかると言うことだが、これはもう仕方のないことだ。春の研修会でみんなに渡すことができればよしとしよう。郵便局のおばさんとすでに顔なじみになってしまった。スコットもいるためにてきぱきと事が運んだ。
「どこでも行くよ。何でも言ってくれ。」
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と言うスコットの言葉に甘えて、そのまま本屋に向かった。実は、野村さんから国際電話で頼まれたPA関連の本を探していたのだが、HIOBSのセンターにもなく、もう時間もないのでわらにもすがる思いで立ち寄ってみたのだ。結果的にはなかったのだが、ここで面白い本を見つけた。「How
To Shit In The Woods」と言う本で、ズボンを半分下ろしてスコップとトイレットペーパーを手に持って立っている男の人の表紙は、日本で興味深かった「森の中でのうんこの仕方」と言う本を連想させる。「よーし、翻訳して比べてみるぞぉ。」と思ってこの本を買った。ところが、これは帰国してからわかったのだが、アメリカで買ったこの本は、実は、「森の中でのうんこの仕方」という本の翻訳本だったのである。偶然にも私は、最近日本で1番気に入っている本の、原本を手に入れたことになる。
なにはともあれ、この本屋で数冊の本を買い込んで、再びスコットの車に乗り込んだ。これから、スコットのに用事に付き合うことになる。今夜は、地元の高校の、スキーバザーの日だそうだ。スコットは、OBSの古くなったグッズを持って今夜のバザーに参加する。自分の、古いクロスカントリースキーもバザーに出すのだそうだ。私は、スキーはすでに買い込んで、日本に、郵送している。今夜は、いかなくてもよさそうなものだが。なかなか盛大なバザーのようなので、スコットと一緒にバザーに出向いてみることにした。
夜を待って、スコットの車に乗り込んで再びベセルの町へむかう。開場30分前に到着したが、すでにたくさんの人が集まって、開場を待っている。30分待って中に入ってみると、ものすごい数の中古のスキーが並んでいる。値段も、子供用のスキーが5ドルからあるなど、信じられないくらいの安値がついている。ぐるぐると会場を回った後、私は、新品の皮の登山靴と、子供用のゴアテックスのスキー手袋を買った。
スコットの買い物を待った後、トラックを飛ばしてブルーパブへ向かう。先発しているバーバラたちと出会って、ビールとステーキを片手に楽しい夜を過ごした。今日は、スキー大国アメリカのパワーを見たような気がした。
10月28日(土)
| 寒い!このところ急に冷え込んできた。もう、10度くらいでは寒いなんて感じなくなっているのだが、今日は寒い!外の寒暖計は零下3度を指している。雪も降って、道路も芝生も真っ白に積もっている。 センターの周りを歩き回って、最後に風景を目に焼き付ける日にしようか、ベセルまでサイクリングして、お土産やさんに行こうかなどと思っていたのだが、すべてやめにする。夕方までは部屋にこもって帰国の荷造りをしよう。 |
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夜はエリーの車に乗って2時間のドライブ。空港のあるポートランドでHIOBSの関係者が集まる「ウエルカムパーティ」に参加する。このパーティーは、OBSの理解者やスポンサーを招待して行う、年一回の活動報告会の意味を持つ。着飾った人達や、妙なカヌーのグッズで身を包んだ人達が会場を埋めていた。ワインやビールを飲んでごちそうを食べながら、スライドショーやオークションなどを楽しんだ。実際にコースに参加した生徒達もやってきて、コースの感想などを話すプログラムもあって会場は大いに盛り上がった。ジョン・ウォルシュ校長とお話しすることはできなかったが、それまでに出会ったたくさんの人達や、初めて出会うスタッフの方々ともいろいろなお話しができて、楽しい夜を過ごすことができた。
10月29日(日)
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ついに、明日が出国の日となった。2カ月間の感謝の気持ちを込めて、今日は1日、スタッフハウスのクリーンアップをしよう。部屋の中から掃除機をかけ、廊下、ダイニングルーム、キッチン、洗面所、シャワー室、トイレ、いろいろな思いを込めながら掃除に熱が入る。たまったアルミ缶やビールのビンなどをセンターに持っていってコンポーストボックスに入れる。 |
なんとなく奇麗になったスタッフハウスから、コーヒーを片手にのんびりと外を眺める。数日前から降り始めた雪が、スタッフハウスの中庭を真っ白に染めている。2カ月前、ここから眺めた景色は、緑がまぶしくて木々の葉も盛んに茂っていた。この2カ月の間に、メーンは、夏の終わりから秋を越えて冬に突入してしまった。この間に、私は何を得ることができたのだろうか。たくさんの物を得たような気がするし、何も得てないような気もする。私自身の思いと、これからの私がその答えになるのだろう。とにかく今は、日本に残した家族に会いたくてたまらない。
センターのメンバーと、いつものように軽い話をして今日の1日は終わった。いつもと同じ夜にいつものアダムスビールを飲みながら、メーンでの最後の夜を過ごした。
10月30日(月)
部屋の中は、暖房が効いていてそれほど寒さは感じないが、外に出ると白い雪の上を白い息を吐きながら歩くことになる。タクシーが午後0時に来ることになっているので、最後のそうじをして部屋を水拭きして出る準備を整えた。立つ鳥跡を濁さず「Leave
No Trace」だ。途中でかわったこの部屋は、ベッドが1つあって実に居心地がよかった。小さな窓に日本的な切り紙が張られているのは、以前この部屋に山口の仲間が住んでいたということだろうか。来年は誰がここに来るのだろう。リビングに、この夏の山口県指導者講習会のしまさんとみかさんの写真を貼っておいた。来年の人の心の支えになるだろう。
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昼前にセンターから電話が入った。タクシーが来たようだ。マウンテンセンターのキッチンで皆と抱き合って別れた。変に感情を残さない小気味よい別れだった。まあ、センターの皆にとっては、大勢の中の一人にしか過ぎないのだろうが、この2ヶ月、本当に良くしてもらった。スコットとエリーに別れを言えなかったのは残念だったが、別れを大げさにしないこんなのもいいだろう。
マウンテンセンターのみなさん。本当にお世話になりました。
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帰りの飛行機は何の問題もなく出発してあっという間にボストンに着いた。それでなくても夕刻につく予定が多少時間を遅らせてしまったので、ホテルに着いたときには真っ暗になっていた。明日は朝早いのでボストンの市街を歩くわけにはいかないが、気持ちはすでに日本に飛んでいる。来るときとは違った気持ちでボストンの夜を楽しんで早くに眠りについた。明日は日本だ。
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10月31日(火)※アメリカ時間
お世話になった方へのお土産を買って、搭乗ゲートに向かった。きりがないとは思いながら、また子どもたちへのお土産を買ってしまう。今日は長い一日になりそうだが、家族と会えると思うと、ほかほかした気持ちで過ごすことができそうだ。
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飛行機のシートに身を預けていると、この2ヶ月間のことを思ってしまう。いろいろな人達のおかげで、本当に貴重な体験をさせてもらった。これが夢でないことは、うずいている膝が証明している。さて、帰国して私にできることは何だろうか。これからのことを思うと、アメリカへ向かう2ヶ月前と同じような緊張を感じる。
11月1日(水)※日本時間
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帰国手続きをつつがなく終わらせて、山ほどの荷物を抱えて国内線のゲートに向かった。以前も感じたことだが、日本語が通じるという喜びは何ものにも換え難い。世界中の人が日本語で話せばいいのになんて思ってしまう。
博多への搭乗を待っていると、でっかいスクリーンに、台湾だったか飛行機事故のニュースが映し出された。ここまで来て冗談じゃない!という気がしてくる。成田の着陸も飛行機があおられて、着陸後もターミナルが霧で見えないほどの天候だったが、飛行機への搭乗も軒並み遅れて不安になってくる。大丈夫でありますように・・・
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博多空港に無事到着した。本当に安心した。山盛りのザックを抱えて、スーツケースを転がしている姿はみんなの目を引くらしく、珍しそうにすれ違っていく。ホテルのボーイさんが荷物を運んでくれようとしたが、ザックを持ち上げられなかった。
11月2日(木)
目が覚めたら日本だ。早い時間の新幹線に乗り込んで、家族との再会に心を躍らす。
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山口県のキャンプに携わるようになって12年が過ぎた。HIOBSへ出かける方々を「すごいなあ。」とおくりだしてきたが、その私が今HIOBSから帰ってきた。HIOBSへの研修が決まってから、自分にできることを考えてきたが、具体的なことは見つかっていない。とにかく、これから出会うだろう子どもたちに、素敵な気持ちになってもらえるように仲間のみんなと頑張っていこうと思う。 |
徳山駅を降りて、新しい自分への一歩を踏み出した。
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