8day バックパッキングコース


 9月8日(土)から、9月15日(土)まで行われた、8日間のバックパッキングです。大人のコースでしたが、グループが集まったときのアイスブレイクの持ち方や、ファーストミーティング、ダッフルシャッフルなど、チャレンジキャンプやクエストキャンプと同じような展開で進んでいきました。さすがHIOBSと思うところがたくさんありました。しかし、我々のキャンプに確かな自信を感じる場面も多くあったことも事実です。後半は、日記形式でまとめてあります。HIOBSのバックパッキングを感じてください。

   行程

日にち プログラム 宿泊地 フレーズ
9/8 ファーストミーティング(ベース)〜キャンプサイトへ移動 ロックサイト下 トレーニングフレーズ
9/9 ロッククライミング〜ホワイトマウンテン国立公園へ移動 林道横の森の中 トレーニングフレーズ
9/10 ハイキング(オプションでピークアタック) ピークの手前の鞍部 メインフレーズ
9/11 ハイキング ・ サービス(トレールの整備) ワイルドリバー横 メインフレーズ
9/12 ハイキング ・ ソロ入り ワイルドリバーソロサイト メインフレーズ
9/13 ソロ空け ・ ハイキング(サーフェイスマウンテン) 稜線沿い ファイナルフレーズ
9/14 ハイキング ・ ベースへ移動(ラストナイト) キャビン ファイナルフレーズ
9/15 マラソン ・ 解散 帰宅 ファイナルフレーズ

   準備物

個人装備 いくつ 状況
  100gアタックザック 貸し出し
  ザックインナー陽ビニール袋 貸し出し
  3シーズン用寝袋 貸し出し
  寝袋用コンプレッサー 貸し出し
  スリーピングマット 貸し出し
  ウオーターボトル1g 貸し出し
  アイダイン(ヨウ素液) 貸し出し
  ソロ用シート 貸し出し
  ソロ用細ひも 貸し出し
  ホイッスル 貸し出し
  レインウエア 持参
  ベースボールキャップ 持参
  サングラス 持参
  バンダナ 持参
  下着 3セット 持参
  アンダーウエア 3セット 持参
  ロングスリーブアンダーウエア(上下) 3セット 持参
  Tシャツ 持参
  ロングスリーブTシャツまたはそれにかわるもの 持参
  厚手の長袖シャツ 持参
  厚手のジャケットまたはそれにかわるもの 持参
  ウインドブレーカー 持参
  薄手の長ズボン 持参
  厚手の長ズボン 持参
  半ズボン 持参
  スイムウエア 持参
  薄手の靴下(インナー) 4セット 持参
  ウールのソックス 4セット 持参
  ハイキングシューズ 1セット 持参
  ランニングシューズ 1セット 持参
  懐中電灯またはヘッドライト 持参
  予備の電池 2セット 持参
  プラスチックボウル 貸し出し
  プラスチックスプーン 貸し出し
  マグカップ 貸し出し
  スポーツタオル 持参
  個人用ジャーナル(メモ帳) 1セット 持参
  サンダル ※オプション 1セット 持参
  ナイフ ※オプション 持参
  薬 ※オプション 1セット 持参
  カメラ ※オプション 持参
  時計 ※オプション  持参
  日焼け止めクリーム ※オプション 持っていかない
  リップクリーム ※オプション 1  持っていかない
  虫除けスプレー ※オプション 持参


共同装備 いくつ 備考
  キッチンタープ 屋根型
  スリーピングタープ 屋根型ひさし付き
  スリーピングシート グランドシート
  ストーブ 調節機能なし
  ガソリンボトル ポンプ付き
  キッチンセット 調理用具
  マッチ 1箱 プラスチックケース
  コッフェルセット 2セット フライパン付き
  ウオータータンク10g 折りたたみ式
  ザイル10m 食料つり下げ用
  ジャーナル 1セット 防水ケース
  ファーストエイドキット 3セット 1セットはイントラ
  携帯電話 イントラ用
  食料バック 11バック スタッフザック
  調理レシピ HIOBSオリジナル
  2万4千分の1の地形図 3セット 古い!
  コンパス 3セット シルバコンパス

日記から

9月9日(金)
 今日から8dayBackPackingが始まる。橋本さんがスタッフとしてグループに加わってくれるおかげで、気持ちも随分楽になっているが、時間が迫るに連れて緊張感も強まる。
 スタッフハウスの前が集合場所で、時間になってグループが集まってきた。なんだか無愛想なグループだなあ。と思ったが、今考えれば、一番無愛想だったのは、極力会話を避けている自分だったのかもしれない。
 集まって、レスリーからいらっしゃいの挨拶があったあと、いきなり林に入ってネームゲームとイニシアティブゲームがはじまった。ネームゲームはネームトスで、イニシアティブゲームはローエレクトリックフェンスなので、説明は分からなくてもやりたいことは分かったが、グループの中での会話に参加できなくて、もどかしさと恥ずかしさでいっぱいになった。方言の違う子どもが転校してきて、いきなりお楽しみ会を催してもらったらこんな気持ちになるのかなあと、思った。
 次はダッフルシャッフルだったが、これは実に時間をかけてじっくりやった。靴下から下着まで、不都合な場合やない場合は、すべてセンターから貸し出される。食料は、8日分が全部用意されて、何番の袋に何が入ったかメンバーによってチェックされながら食料バックに詰められていった。自分は、食料バックを2つ持ったが、腹が立つくらい重たくて分厚い寝袋と合わせて、「なんじゃこりゃあ。」と思うくらいの重たいザックになった。 参加者たちの顔を見ても、特に女の子たちは「こんなはずじゃあなかったわ。」と思っている様子がありありと分かる。900ドル(10万円)の大金を払って余暇を楽しみに来た人たちで、これからどういう展開になるのか楽しみでもある。
 その日は、次の日のロッククライミングに備えて、ロックサイトの近くにタープを張って、改めてシュラフと水筒を持ってナイトハイクに出かけた。トレールを随分登って、ロックサイトの近くまで来たら、一枚岩の平たいテラスにでた。ここが今日の宿泊サイトである。降り注ぐほどの星と、ほのかな稜線は見る人に感動さえ与えてくれる。
 そして、ナイトミーティング。動機の確認と目的の確定。これがテーマなのは分かったが、インストラクタージョンの話しかけの言葉の抑揚と雰囲気が今ひとつつかめない。一番知りたいところがベールに包まれている感じだ。女の子一人が泣き出して、ジョンが話をしているが、一番知りたい語りかけが分からない。言葉の壁にぶつかって、英語力の無い自分を感じながら、寝た。
9月10日(日)
 夜露でびしょびしょの寝袋をたたんで、同じ道を戻る。キャンプサイトまで戻ったら、お湯を沸かしてシリアスを食べて再び同じ道をロッククライミングに向かった。「あー藤中さんここで迷ったんじゃなあ。」と思うような林の中を抜けて、岩場を登る。景色のいいテラスにギアボックスがあり、そこで装備をそろえて反対側に降りる。
 「あった。」
 ロッククライミング場だ。キレットのある一番右側と、補助具の着いたルートを飛ばして、真ん中とその左側に3本のロープが設定してあった
自分は迷うことなく、イントラをめざしてこのコースに入っているアルベルトと組んでキレットに挑んだ。キレットは、腕の力で何とか登ったが、そのせいで最後のテラスに着いたときには腕がぱんぱんで親指と人差し指をくっつけることさえできなくなっていた。休憩にと取り出した写真のシャッターさえもきることができない。とっかかりの少ない最後の岩を前にして気力さえもなくなって降下した。
 休憩して臨んだ他の二つは楽勝だった。「タツ!足で登るんだ。」というジョンのアドバイスも何となく分かったような気がして、再びキレットのコースに挑んだが、もう自分の体重を一瞬でも支える力が腕に残っておらず、2度目のキレットは登ることができなかった。
 しかし、これで挫折感を感じなかったのは不思議だ。イントラ、ジョンの笑顔と、みんなの「グッドジョブ!」のせいだろう。たとえどんな状況でも、たとえどんな結果になろうとも、生徒に最後に挫折感を残してはいけない。成功体験にまで導いて終わらせてあげることがグループを任されたインストラクターの責任だろう。その日のゴールが同じになる我々のキャンプでは、とかく早く着いたものに優越感が生じ、遅くなったグループには劣等感が残りがちだが、イントラ同士が全ての子供たちに成功感覚を味わわせられるようにしなくてはいけない。この日はつくづくそう感じた。
 20歳の女の子マラーニが、昨日から落ち込んでいる。思いもかけないハードなバックパッキングにカルチャーショックを受けているようだ。プエルトリコ出身でスペイン語が通じるので、英語と混ぜながらいろいろ話をして「僕も一人っきりで寂しいんだ。家に帰りたいのは同じだよ。」と言ったら、「どうもありがとう。タツ。」と返ってきた。昨日の夜、自分が一人でいるときに、アルベルトが「ヘイ!どうしたタツ。大丈夫か。」と話しかけてくれた。会話が続かなくても、自分が仲間の中で存在しているんだという感覚になれてとても嬉しかった。自分の下手な英語でも、マラーニにとっては励ましになったのだなと思えて何となく嬉しかった。マラーニにコースを頑張って続けてほしいなと心から思った。しかし、このときはすでに帰宅への意志が固まっていたようで、マラーニはロッククライミング上から下山後、ジョンと一緒にマウンテンセンターにもどって帰宅してしまった。「ま、帰りたいんだから仕方ないね。残念だけど、これからのグループのコースにとっては良かったかもしれないよ。」というビジネスライクなHIOBSの姿も見た。
 小さな感傷も手伝って、誰も持とうとしないマラーニの食料バックを引き受けたら、今度は自分が前に進めなくなってしまった。遅れながら追いつきながら歩いていくと、ピックアップポイント(センターから車で離れた国立公園まで行き、本格的なバックパッキングが始まる。)で、リチャードが黙って私のバックから食料バックを引き抜いている。「リチャード・・・。」と言うと、「交代しようよ。」と笑いかけてきた。彼を日本に連れて帰りたくなるくらい嬉しかった。
その日は、歩くスピードの違いに半ばやけくそになりながらシェルバーントレイルのテントサイトに到着して終了となった。異常に体力が落ちているのは、時差ぼけのせいもあるのかもしれない。


9月11日(月)
 朝のミーティングは、アシスタントインストラクター:トシのイニシアティブで雷の際の避難の仕方を習った。前の日は、真剣に野ぐその仕方を勉強し、計画的にアウトドアでの過ごし方のスキルを伝えていると言うことが分かる。内容については、自分たちが山口でやっていることとほとんど同じだったが、イントラの力量によって伝える内容が変わらないようにと言う配慮からか、イントラがマニュアルを片手に確認しながら進めている姿が印象的だった。今回新しく知ったことは、テントサイトはトレール(登山道)から少なくとも200フィート離れていることが必要だと言うこと、これは、人的損害を防ぐためで、キャンプの跡を知られては次々に人がそこをキャンプ場に使ってしまって自然の回復力が間に合わなくなってしまうからと言うことである。キャンプ跡に小枝や木の葉を撒くのも、今までは回復力を手助けするためだと思っていたが、人間に気付かれないようにするためだということが分かって「なるほどな。」と感心した。水たまりになっていても決して道を逸れてはいけない。10人以上のパーティーで山に入ってはいけない。ブッシュワークは横に広がって前の人の跡を踏まないようにする。
 これらのことも、自然回復力を損なう人的災害を極力少なくするための約束事である。トイレットペーパーは極力使わない。使った場合は必ず持ち帰る。これも徹底していた。私は、日本で、洗剤を使わないために大量のトイレットペーパーを使っていたし、快便グッズにはトイレットペーパーが必ず用意されてあったが、これからは使うにしても最小限に留めようと決めた。そういえばみかさんは指で食器を洗っていた。さすがである。
 今日のターゲットはシェルバーン・モリアン・マウンテンである。この日はナビゲーターを任された。地図は2万4千分の1。地図もコンパスも英語は必要ない。「任せてくれ。」である。このグループは役割分担がはっきりしていないので、自然にリーダーになる。昨日のがむしゃらな歩きから一転して、踏みしめるような歩きにする。女の子が「タツ。ありがとう。ゆっくっりでとても歩きやすいわ。」と言った。なんだ、異常な速さに面食らっていたのは自分だけじゃなかったんだ。それならそうと早く言ってほしかった。
 
 日暮れまで3時間を残して稜線に出た。めざすピークが目の前である。なのにグループが動かない。女の子にピークに登ろうとする気がなく、男たちは決して無理強いをしない。「行こうよお。」とごねているのは、私とアルバートだけで、グループの意志はすでに露営に固まっていた。私とアルバートとリチャード(彼は一番紳士的な男性だった。)は、仕方なく動かなくなったグループを残して露営地を探しに行った。
 この日はミーティングの後、昨日がむしゃらな歩きを誘発していた女性:キャシーがイントラ:ジョンとしみじみと話し始めた。トシから聞いたところによると、森が恐くて仕方なく、帰りたくてどうしようもなくなっているそうだ。昨日の歩きも実は怖さに耐えきれず、逃げるように歩いていたと言うことである。納得した。特殊な人たちのためのキャンプというイメージからの脱却を図る意識改革元年の今年に、これ以上プッシュして脱落者を増やしてはいけない。OBSの理念と経営との板挟みでジョンが苦しんでいるようだ。
 私はというと、おしりを拭いた山ごけに杉の葉が混じっていて、悲痛な叫びを押し殺してシュラフに潜り込んだ。
 
9月12日(火)
 コース4日目。山から稜線を反対側に降りて、昼過ぎにワイルドリバーと言う川の縁に着いた。今日はサービスの日で、すなわち奉仕活動の日である。用意されていたスコップやつるはしや人の背ほどもあるノコギリを手にして、河原のトレールの修復に向かう。一抱え以上もある大木がトレールに倒れかかっており、これを根元から切り落として大木をトレールから取り除くことが私に課せられたサービスとなった。下手にノコギリを持つんじゃなかったという後悔がよぎるほど大木は歯が立たず、両腕は根元からぱんぱんで感覚が無くなった。リチャードの加勢で何とか大木は取り除かれて、後には言いようのない充実感と満足感が残った。
 その日はファイナルに備えてブッシュワークの練習をしたが、足に触れる葉っぱに悲鳴を上げたり、およそブッシュワークとは言えないブッシュワークにほとんどがすごいストレスを感じていたようだ。今年度の指導者講習会ブッシュワークに連れて行ったら、間違いなくグループが崩壊する。そんな感じだった。私は、途中でムースの毛が残るベッドに寝ころんだり、久しぶりの腐葉土の感触を心ゆくまで楽しんだ。
 夜は湿っぽい低地にタープを張ったため、蚊とブヨの襲撃に合い寝るどころではなかったが、10年前に、日本に来たHIOBSのディレクター:アンディが、ゴアテックスの上下を着込んで寝ていたことを思いだして、3期の仲間から餞別に贈られた黄色いカッパを着込んで穏やかな眠りについた。
 
9月13日(水)
 今日は、心待ちにしていたソロの日だ。必ず残る共同装備をリチャードとアルベルトと私で持ち分けてワイルドリバー沿いのトレールを足取りも軽く歩き出す。ソロのブリーフィングで、時計とランプ(ヘッドライトやフラッシュライト)とマガジンを引き上げられた。時計は、時間に縛られない時間を過ごすための配慮で、ランプは、暗闇をてらしてよけいな恐怖感をあおることのないようにする配慮だそうだ。ソロサイトは「ここから歩き回れるくらいのところから出ちゃいけないよ。遠出すると隣の人と出会っちゃうからね。」くらい離れた距離で、うんこも河原のソロ地から200フィート(約60m)離れなければいけないと言う事が徹底できる距離である。ジョンの配慮で、一番奥のムースの足跡だらけのサイトを手にした私は、素っ裸で河原のプールに入り、思う存分楽しんだ。じっとしなければいけないと言う感覚はそこにはない。
 大きな自然に抱かれて、どんどん一人の自分になっていくそんな時間である。久しぶりに自分のソロを楽しんだ。暮れゆく太陽と、代わりにてらし始めた月明かりに包まれて、穏やかな寂しさの中でシュラフに潜り込んだ。
 
9月14日(木)
 ムースメイプルの葉っぱを数枚手に持って森の中に入った後、すっかり目が覚めた。いいソロだった。残念ながらムースには出会えなかったが、10年ぶりに生徒としてソロを味わうことができて満足した。ソロのディブリーフィングでは、こみ上げる感情を抑えきれず慌ててサングラスで目を隠してしまったが、忘れていた感覚をよみがえらせてくれるソロはやっぱり好きだ。
 さて、この日からファイナルツアーが始まる。ターゲットはバードフェイスの稜線である。ジョンがファイナルツアーのブリーフィングで、目的地と幾つかのコースと幾つかのオプションを示した。それを選択する形でファイナルが始まる。地図読みを習ったとはいえ、一朝一夕にはいかない難しさを考慮してのコースの選択である。我がグループは、思った通り最短距離のブッシュワークを避けて遠回りのトレールコースを選択した。ブッシュワークの練習が裏目に出た形だが、結果的にはこれが早かったのかもしれない。今日はナビゲーションがサイクルで代わったが、トレールが消えるごとに、「タツ。これでいいのか。」と聞いてくれるようになって、グループの中での自己有用感が感じられてとても嬉しい。
 一度道に迷ったが、夕刻前のいい時間に今日の目的地(イーグルグレッグ)まで到着した。いきなりアルベルトが、「タツ!サイトを探しに行こう!」と、林の中に入っていく。「おっ!なんか変な雰囲気だぞ。」とワクワクしながら「どうしたんだアルベルト。」と聞いたら、「あいつら動こうともしない。いつもおれたちがやらなきゃいけないんだ。」と、不満いっぱいである。アルベルトは今まで一番張り切って荷物も一番多く持っていたが、疲れもピークに達して爆発したようである。大人のコースも子供と同じだ。感情の変化の過程はそんなに変わらない。
 夜。普段4人のターフに5人詰まったので他の広いターフに移ろうとすると、アルベルトが「タツ!お前はファミリーなんだから行っちゃだめだ。一緒にいよう。」と言ってくれた。ありがたいような嬉しいような…そんな気持ちになった。
 
9月15日(金)
 いつも黙って早起きしてお湯を沸かすリチャードと一緒に朝食を用意する。女の子は朝のお化粧に時間がかかる。それでもさすがファイナル、手際がいい。今までのことを思ったら、あっという間に出発した。朝から雨で、目の前のピークも雲の中にある。ほとんど相談することもなく下山が決まって、黙々と歩き始めた。ディップができるエメラルドプールに数人で立ち寄っただけで、とにかく急いでピックアップポイントまで歩いた。
 昼過ぎには歓声と共に車道に出ることができて、早めのピックアップを待つことになった。冷たい雨も、みんなでタープの中にいれば暖かい。残りのチーズをみんなで分け合って食べた。
 数時間後に迎えの車が来て、雨の中マウンテンセンターまで帰った。今日はケビンで泊まるそうで、必要のない装備をセンターに置いてケビンに向けて出発した。バックパッキングも終わり、みんなの気持ちも下界に戻りつつある感じだ。
 ケビンは、秋吉台家族旅行村のケビンと同じくらいしっかりした造りで、中二階にもマットがひいてあった。ここで何気なく隣の部屋に入ったら、一番若い女の子が着替えているところだった。慌てて「ごめん!」と言って飛び出したら、女の子の方が、「いや。こっちが悪いのよ。ごめんね。」と謝ってきた。そういえば、今までタープも男女の別はないし、ある程度の着替えなら平気でしていた。こういうところの感覚が日本と違うところで、時に面食らってしまう。
 別世界のような心地よさのサウナに入った後、ラストナイトミーティングになった。次の日のマラソンは残っているが、このコースの感想を言い合い、修了証書をお互いに交換し合う。私は、ジェニファー(ほとんど何もしなかった女の子)に、「時々くれた笑い顔がとても嬉しく感じました。ありがとう。」と言って渡した。私には、いつも声をかけてくれたアルベルトが、「言葉もよく分からないのに、みんなを引っぱってくれて、お前はグレートだ。」と言ってくれた。アルベルトとはこのコースの間中本当によく話して、仲間意識が芽生えていただけに本当に嬉しかった。
 
9月16日(土)
 昨日の雨が嘘のように空には星が瞬いている。5時起床で、眠い目をこすりながら離れたトイレへ向かう。…道に迷ってしまった… 慌てれば慌てるほど方向が分からなくなってしまう。ヘッドランプの光もここにきて力を失っていく。何度も道を引き返して30分以上もかかってケビンにたどり着くことができた。うんこはできなかった。最後にしてみんなに遅れをとり、迷惑をかけてしまった。加えて、便意も容赦なく襲ってきて気持ちはナーバスになってくる。
 途中センターに寄り、やっと幸せな気分になった後、マラソンのスタートだ。2日目のロッククライミングで右膝をしたたかに打ってから痛みをだましながら歩いていたが、やっぱりちょっと気になる。いや、これは自分の逃げの気持ちだろう。自分に負けてはいけない。気持ちを振り絞って出発だ。コースは、センター裏のトレールから一般道に出て、丘の上を引き返してくる5マイル(7km弱)だ。体が重い、こんなに重かったかなあと思うくらい重い。しかし、心憎いほどの時間設定で、折り返してから体中に朝日を浴びた。なんか一人でヒロインになったような気がして、気持ちがものすごく前向きになっていくのが分かった。よし、後2マイルくらいだ。頑張るぞ!そしてゴール!先に入った仲間と健闘をたたえ合う。「グッドジョブ!」お互いの頑張りを認め合う最高の瞬間だ。
 それから借りていた備品のクリーンアップをみんなでやって、シャワーを浴びてきれいになった。最初であった頃のみんなになったが、最初であったときとは違う。住所を交換して、抱き合って言葉を交わして、ついに別れの時間になった。残るのはイントラ:ジョンとトシ、そして私だ。みんなが乗ったバンに手を振りながら8dayパッキングのコースが終わった。純粋に生徒として参加したのは講習会以来10年くらいぶりで、終わってみると、言葉の壁を越えられないつらさは始終あったにしても、心から楽しめたキャンプだった。ジョンそしてトシ。本当にありがとう。

もどる